Vol. 058
377年続く日本酒蔵元の鬱屈と謙虚。
伝統と革新を紡ぎ合わせ、SAKEの新たな世界を拓く。
萬乗醸造 醸造家
久野 九平治Kuheiji Kuno
2024年7月10日
1647年に創業された老舗の酒蔵、萬乗醸造。その15代目である久野九平治氏は、自らを「醸し人」と称し、職人として、お米という素材からその先の醸造工程に身を注ぎ日本酒を醸す。職人そして経営者として未来を見据え、2010年より自社で稲作を、2016年よりフランス・ブルゴーニュでワインを醸している。そして2024年春に田んぼの中に新蔵を誕生させた。
久野氏のこれまでの道のり、ものづくりへの想い、経営者として描く未来について語ってもらった。
老舗酒蔵の15代目を
米造りへと駆り立てたものは何だったのか。
元々久野家は大高村の庄屋だった。当主は代々「九平次」の名を受け継ぐ名古屋の旧家である。そんな背景と江戸期の士農工商という住み分けにより、米造りは農家、酒造りは酒蔵が行うものときっちり一線が引かれていた。今でも、日本酒は買米で醸造するのが一般的である。それなのになぜ、萬乗醸造は米造りに乗り出したのだろうか。
きっかけは、久野氏が生み出したブランド「醸し人九平次」をフランスに進出させたことだった。
「2005年、2006年ごろの日本は空前の焼酎ブームで、日本酒離れが加速していました。一方海外では和食や日本酒への関心が高まっていた時期。日本酒の新たな魅力と可能性を求めてフランス料理とワインの本場へのトライを始めました。日本酒が楽しまれる新たなポジションの模索を最前列に考えていたので、フランス料理のシェフ・ワインのソムリエをめがけて、日本的にいうと、どぶ板営業を地道に行いました。
現場で試飲をしてもらうのですが、その時私の日本酒がごく自然にワイングラスに注がれました。フランスに出向く前は私自身も日本酒をワイングラスで飲むことはありませんでした。ワイングラスで日本酒を飲むと、今までと違う香りと味を確認できたのです。フランスで当たり前のワイングラスが、日本では当たり前ではない。この異国での新しくポジティブな体験を日本の皆さんに紹介してきました」
食にまつわる習慣の定着には時間がかかるもの。10年後、日本国内でもようやく日本酒をワイングラスで飲んでもらえるようになったという。
有名シェフやソムリエとの出会いを求めフランスを歩き回る日々。そしてその出会いの中で、彼らが久野氏に尋ねるのは酒造りの工程ではなく“お米”のことばかりだった。「日本酒ってどう造るの?」とは聞いてこないのです。彼らが聞きたがるのは、素材であるお米のこと。たしかに、ワインはブドウ軸で話が進む。産地や品種、その年の天候。日本酒にこの軸が欠けていることを気づかされた。従前のようにお米の場合、農家さんが育て、それを買い取る米との関係性しかなかったためワインと同じ目線で素材について語ることができなかった。書籍で得た知識や農家の人たちの話をいくら伝えても、「自分でやった事のないリアルさの欠如で説得力がなかったのです。」
それ故に、久野氏は2010年から“ゼロから米を育てること”を始めた。
日本酒とワインのボーダーを取り去りたい。
ワインと同じ立ち位置の“SAKE造り”。
海外で日本酒が盛り上がっているというニュースを耳にするが、自らの足で各国を巡っている久野氏は、数字的にはそう捉えられないという。「フランスのワインやシャンパンなどの輸出は年間1兆円を超えている。一方日本酒の輸出額はまだ450億円です。そして、ワインの日本国内市場規模は1兆円を超えているのに日本酒は6000億。国内外でワインの方がもう上回っています」
ワインで数万円のものをそこまで高いと感じないのに、なぜか日本酒だと「高い」と感じられてしまう、それはワインと日本酒のボーダーだ。原料であるお米の歴史・育成法・品種特性・テロワール・ビンテージから理解をしてもらい、プロダクトの前の原料から価値を感じてもらえていれば決して高いとは言われないはず。
ワインの世界では、ワインの造り手が自らブドウから育てる。そしてソムリエやサービスマンが伝えるのもブドウの話が軸。どの国でも共通言語となる「ブドウ」でアピールするわかりやすさ。ボーダーを取り払うためには、同じ基準で語れるところに自分たちの日本酒を持っていく必要があった。「お米」を基準に語れる日本酒を造ることだ。なぜなら、彼らができていることを日本酒側もできていなければ、同等には見てもらえないから。
山田錦の原産地である兵庫県黒田庄で栽培を始めた。愛知にも田んぼはあるのだから県内で育てればいいのにという声もあったが、愛知の気候・土壌ではうまく育たない。
醸造という、“蔵の中のこだわり”ももちろんある。しかし蔵の中のプロダクトの前に「田んぼにも毎年のドラマと特性があります。2次元でスマホやPCから得る知識ではなく、3次元で身をもって知っていくことになりました」
お客様からすると米粒はただ「硬いもの」というイメージだが、その年の気温によって硬い・柔らかいといった違いがあるのだそう。
「夜の気温が27℃を超えるとお米は硬くなります。夜暑いと寝苦しいのは人間と同じです。こうやってお米を見つめていると、その年の天候の事を忘れなくなるのです。例えば2018年は天候のトピックスで何があったかなんて、皆さんは、もう思い出すことができないと思います。しかし私には刻まれるのです。この年は関空が水浸しになる大きな台風で受粉がうまくいかず米の収穫が2割ダウンした、ワインなら収穫が少ないとその年のものはレアだ、というような感覚ですね。お米も毎年のドラマが、ちゃんとあるんですよ。」
こうして、ワインの自己表現に習い収穫年やその土地の個性が表現された日本酒ができあがっていった。
久野氏は自らの酒造りを「鬱屈と謙遜」と表現する。彼のいう“鬱屈”とは、人間の無力さを思い知る抗えない天候のこと。自分ではコントロールができないことに対峙し謙虚にならざるを得ない、そんな気持ちを酒造りに投影する……。米造りへの挑戦、フランス進出の経験を経て、この「鬱屈と謙遜」の気持ちはさらに色濃く萬乗醸造のものづくりに反映されていく。
ワインの素晴らしさや市場規模の巨漢さにひれ伏す気持ち。しかし謙虚な姿勢でその大きなものの中に飛び込んでみたら見えるものが違ってくるのではないか。そんな考えから2013年久野氏はフランスでのワイン造りに挑戦する。
「スタッフの派遣・研修から2015年構想と合致した中古の醸造所があったので購入しました。しかし2013年から数えると最初のリリースまでには7年かかりました。異国でのアクションには、一過性ではない“土着”であることがとても大切。そうでないと良きご縁がもらえません。その延長に畑の購入の話など事業の発展につながるご縁がもらえるのです」
2013年、ブルゴーニュのモレ・サン・ドニで創業した「DOMAINE KUHEIJI」はM&Aなのかと聞かれることがある。しかし久野氏は何年かかってもいいからゼロからでやると決めていた。ワインを理解し、“SAKE”に化学反応を起すために。異国の地で根を張るには時間がかかるし、一過性ではないということを示すのもまた時間がかかること。
赤ワインの本場・ブルゴーニュ・コートドニュイで、ゼロから始めブドウ畑を取得し栽培している日本人は唯一、久野氏だけである。
未来に向かって、新しい価値を造り出していく場所。
「最終的な私の仕事は日本酒を造ることです。2010年から始まった稲作ですが、兵庫で育てて収穫したお米を名古屋に持ち帰り名古屋で日本酒にしていました。それを、お米を育てたその田んぼの中で、そのまま日本酒まで造るスタイルを思い描いたのです。名古屋の第2工場ではなく、この田んぼからこのSAKEになりましたという、今以上に田んぼをご理解いただく場です」
久野氏がこう語るのは、2020年に兵庫県黒田庄の自社稲作エリアの内で機能別の9棟を5,000坪の敷地に点在させ、田んぼを含む10万坪の「小さな村」をイメージした新しい醸造所であり、その名も「Domaine Kurodasho」だ。黒田庄の豊かな自然に調和する美しい建築デザイン、設備の佇まいもどこか、日本の原風景の中にありながら“日本らしくない”ラグジュアリーさを醸し出している。
ここでは、米が育って行くプロセスを四季で眺めることができる。
「私自身、お米の“花”を見たことがなかったんです。田んぼを始めなければ見られなかった景色をたくさん見ることができています」
受粉のために開花する純白で可憐なお米の花は、開花は10日間ほどで午前中の10時位から咲きお昼12時を過ぎると閉じてしまう。田んぼにいなければ見られないロマンチックな摂理なのだ。
久野氏はこう教えてくれた。「普段みなさんはお米を“実”だと捉えていると思うのですが、あれは、一粒一粒が“種”なんです。脱粒という言葉があるのですが、稲は外気が15度を下回ると自分が子孫を残さなくちゃという変化を起こし、種としてボロボロと土に落ちていく。だから収穫は一気に同じタイミングで行わなくてはならない。何万年と種(タネ)として受け継がれて来た子孫の一つが山田錦と言う品種なのです。」
こうして収穫される米は、田んぼ一反=300坪につき約360kg。ワインでブドウを選り分けるのと同じく米も選果され、精米してお酒に使えるのは113kg。できあがる日本酒は750ml換算で300本ほどなのだという。大体2畳分の田んぼから1本しか造れない。気候に左右され人の手間を必要とする日本酒、貴重な1本だ。
「Domaine Kurodasho」について久野氏はいう。
「フランスのワイナリーを訪れると、広大なブドウ畑を歩き案内されます。日本酒でもそれをやろうとしているのですよ。まずは田んぼを歩いてご説明してお米からご理解をいただく。そうすることでお米や日本酒に対する理解を、今までとは違うベクトルでカバーを取ることができるのじゃないかと。日本で田んぼが見える風景って当たり前といえば当たり前、しかし、それを物語のある素敵な情景として体感していただきたいのです。3次元で記憶に留めてほしいのです。僕にとってはフランスの畑も、日本の田んぼも同じ。ブドウとお米ってかけ離れているように感じられるかもしれないけれど、植物の実が日本酒に、ワインになるのです。僕にとっては同じなんです」
自身の内側で沸々と湧き上がる想いを形にし実現していく、歴史や先人に敬意を払い、気づかされながら、守り、活かしながら新しい価値創造に絶え間なくチャレンジする姿勢は不易流行。そんな久野氏の酒造りのジャーニーは、これからもますます上質で美しいものに研ぎ澄まされていくのだろう。取材の最後に「自分の人生は教えてもらっていることばかり」と言った後に、彼が最近教えてもらいずっと頭の中に残っているという単語について語った。
「DISCOVER=発見という言葉があるでしょ。DISと COVERの間に線を引けと教えられました。DISは否定形です。物事の本質がカバーされて見えていないだけで、そのカバーをとる(DIS)行為が本当の意味での“発見”なんだと」
Next Frontier
FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン
“ものづくりへの挑戦はまだまだ発展途上。伝統的な文化を継承しながら新しい価値を創造することを止めない。夢は、世界の市場で日本酒のポジションを確立する事。”
編集後記
萬乗醸造の「醸し人九平次」はワインを愛するフランス人に受け入れられ、世界の高級ホテルや三つ星レストランで提供されています。15代目久野九平治氏は、柔らかな語り口の奥に、酒造りへの熱い情熱を感じさせる表現者であり、経営者としての鋭い視点の持ち主でした。
量ではなく質、手間を厭わず本質を掘り下げる彼の「ものづくり」への美学が五感に響き取材はあっという間に過ぎていきました。
都心のオフィスビルやホテルなど「ものづくり」にこだわり続けてきた私たちサンフロンティアとして、今回お聴きした久野氏の素材づくりからのお話は深く心に刺さるものでした。
取材を終え改めて感じたこと、それは人間久野九平治そのものが「醸し人」なのだということ。そしてその原動力は、ものづくりの本質に自らが挑戦し続けること、そしてそのことを経営の主軸にしていること。
15代目にして新しく取り組む壮大なプロジェクト、黒田庄の発展からも目が離せません。
萬乗醸造について詳しくはこちらから
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