FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、様々な領域で活躍する「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 056

New York事業の成長を支える、
ニューフロンティア達が挑戦する
ジャパン・クオリティへのこだわり

ビルディング事業部 NY事業
宮野 秀斗Shuto Miyano

ビルディング事業部 NY事業
網野 麻衣子Maiko Amino

2024年5月10日

  1. “やり遂げた”ということがないから、 仕事ではやり遂げることを目指し続けている(宮野)
  2. 仲間と創ってこその“価値” 分かち合うからこそ喜びがある(宮野)
  3. ずっと同じ場所に留まる必要はない。 インスピレーションを信じて、高みを目指す(網野)
  4. やり方や文化を押し付けるのではなく、自らが“アジャスト”していくこと(網野)
  5. 成長が続くNew York事業を通し、ジャパン・クオリティで より価値のあるものづくりを
  6. 「どうせ無理」という言葉をなくしたい。「やればできる」しかないから

サンフロンティア25年の歴史の中で事業の中核として成長してきた「リプランニング®︎」は、スクラップ&ビルドではなく、今ある建物一棟一棟を大切に、そのポテンシャルを見極めて、高収益で機能性に優れたビルに再生する事業。ビル経営者そしてテナント企業の双方にとって価値を高め、地域の活性化に寄与するまさに「三方よし」のこの事業は、国内で数々の好事例を生み出し投資家から注目を集めてきた。その可能性を追求する形で、2018年にNew Yorkに進出、主に集合住宅のリプランニング®事業を手掛けている。
New Yorkでの事業が軌道に乗り始めたのは、新型コロナウイルスで世界中が大混乱に陥った頃でもある。ロックダウンに見舞われ工事が全面ストップすることもあった。ロックダウン解除後も作業員の罹患や物流難に加え、日本から現地に入ることもできず苦難が続いた。
遠く離れたアメリカの建物の価値を上げ、グローバル都市New Yorkでジャパン・クオリティによる豊かな住環境の提供を標ぼうするこの事業は、今後どのような発展が期待されているのだろうか。
New York事業の成長を担う宮野と網野、全く異なるバックグラウンドを持つ2人が同じチームとなって果敢に挑む姿を追った。
(取材場所:+SHIFT NOGIZAKA)

“やり遂げた”ということがないから、
仕事ではやり遂げることを目指し続けている(宮野)

「私の父は職人で、専門は電気関係。母方の親族は土木業。いわゆる職人家業の中で生まれ育ちました」
幼少期に、職人の父や祖父が苦労する姿を見て育った宮野。リーマン・ショックの時には工事完了時に支払いを反故にされてしまったこともあったという。やり切った仕事に対する報酬が得られないという理不尽さを目の当たりにした。そんな経験から宮野自身が家業を継ぐことはないだろうと思っていた。では、自分はどう生きるのか。建物に関わる仕事がしたいという気持ちは常にもっていたことから不動産業界に絞って就職活動を行った。ある時、大学の先輩から「厳しいけど、うちも受けてみたら?」と声をかけられ入社を決めたのがサンフロンティアだった。
「自分はあえて厳しい環境に身を置きたいタイプ。結果的に社風がすごく合った」
父からは“ウソをつかない”ことと、“義理人情”ということを強く言い聞かされて育ち、職人にはならなかったもののその「気質」はしっかり受け継いできた。そして、父からの教えはサンフロンティアのフィロソフィに相通ずるものがあった。根本にある考え方が同じなだけに、宮野は入社以来サンフロンティアに、仕事に、没頭していくことができた。
宮野の仕事に対するこだわりについて尋ねてみた。
「仕事において、とことん納得するまでやろうという想いは、挫折を経験したからなんです」
運動神経に自信があり、学生時代サッカーに熱中した。その時の同級生が、日本代表選手として世界へ旅立っていった。一緒にプレーしていたのに自分はそこへ辿り着けなかったという思いが心のどこかに巣食っていた。また、これまでの人生の選択に間違いがないという確信はあるものの、進学は親戚の通った大学へ、就職先は信頼できる先輩のお声がけで、といつも誰かに起因しており、自ら選んで掴み取った感覚が乏しかった。だからこそ、仕事だけは、他人との比較や影響ではなく自分で立てた目標をやり遂げるんだと心に決めたのだという。

仲間と創ってこその“価値”
分かち合うからこそ喜びがある(宮野)

2024年春、宮野はこれから長期間New Yorkに滞在し、事業をさらに大きくするための基盤づくりに集中することになる。
「父にNew York行きを報告した時、昔の話をしてくれました。祖父の連帯保証のトラブルで会社に借金ができてしまい、大変だったけどそこから逃げるのではなく完済して会社を立て直したんだと。子どもの頃、父がサッカーの応援に来てくれないのは忙しいからだ、職人は大変だと思っていたのですが、経営再建のために苦労していたのだと理解しました」
その父と、日本のものづくりや仕事に対するこだわりを携えて、New Yorkに旅立つ息子。アウトプットが違うだけで、芯の部分には深いつながりがあると感じた瞬間だった。

「私がサンフロンティアを好きな理由は、人としての正しさとか、当たり前のことをきちんと口にして、誠実にやっていこうという志の部分です。父の話も同じ。誰にも迷惑をかけずに当たり前のことをやり抜く、そういう価値観で育ってきたことは今の会社人生にプラスになっているなと感じます」

年次が上がるにつれ、担当するプロジェクトが大きくなっていく。その作業を通じて、一人でできる、自分がやった方が早いという感覚と傲りが薄れ、「仲間と創り上げる」ことの喜びを知った。同じサンフロンティア社員だけでなく、現場の職人を含め関わる全ての人たちが働きやすい環境、最大限力を発揮するにはどうしたらいいかを考えながらプロジェクトを進め、仲間と創り上げたからこその価値が見えてくる。
「もしも自分一人で創ったものだとしたら、ここまでの喜びは感じないと思うんです。たくさんの人たちと創り上げた喜びがあるからこそ、ビル経営者やテナント企業にもその喜びが伝わって初めて“価値”となる、それが私の中で思うものづくりです」

ずっと同じ場所に留まる必要はない。
インスピレーションを信じて、高みを目指す(網野)

小学4年生から高校卒業まで、10代のほとんどを海外で過ごしたという網野。海外での長期滞在経験から培われた国際的な視点や柔軟性が彼女のキャリアにも表れている。
「新卒で金融業界に入ったのですが、リーマン・ショックを機に飲食業界へ、そして現在の不動産業界にチャレンジすることにしました」
前職で元サンフロンティア社員と出会い、“いい会社だったから戻ることにした”という言葉に惹かれ、「戻りたいほどいい会社なの?だったら私も連れて行ってほしい」とサンフロンティアに入社。当時始まったばかりのNew York事業に携わることになった。
不動産業界は地域密着型のビジネスであり英語を話せる人材があまりいない。英語の案件があると部署を超えて網野へ相談が来るようになり、相談事には自分の手を止めて応じる網野の人柄もあり、会社にはすぐ馴染むことができた。

「日本に住んでいた頃も1〜2年単位で各地を転々としていたからか、フレキシビリティはありますね。そしてインスピレーションで良いなと感じればためらわずに動くタイプ(笑)」
金融業界から転職したのは、自分の利益ばかりを追い求める人が多く、不条理さに憤りを感じたことが大きかった。人のために何かをすることを厭わない両親の影響もあり、「人の役に立ち、誰かのためになり、誰かが笑顔になってくれたら嬉しい」という気持ちが原動力の彼女にとって、サンフロンティアの社風とフィロソフィにはごく自然に共感できた。

「帰国子女は主張が強いと言われがちですよね。私はあえて、日本人が言えないようなことを言うことも必要なのではないかと思っています。だから、理不尽なことがあれば声を上げます」
海外に行った時より日本に帰ってきた時の方がカルチャーショックを感じたと網野はいう。アメリカでハイスクールライフを楽しんで日本に帰ってきた自分は、周囲から見るとバリバリの帰国子女でハッキリものを言う、勢いがありすぎて怖がられてしまう、「帰ってきた」のに馴染めない…自分の「個」を適度に抑えて、思ったことを発言しないようにしないと浮いてしまう。入学した大学では帰国子女が多くいたにも関わらず、18歳という多感な時期に他人から「みんなと違う」といわれる経験をした。

やり方や文化を押し付けるのではなく、自らが“アジャスト”していくこと(網野)

「New York事業をスタートしてほぼ5年、ようやく私たちが実現したかったことが少し見えてきたと感じます。ここからはもっと調整、きちんとアジャストしていくタイミングだと思っています」
日本のクオリティをNew Yorkの人たちに知ってもらいたいと内装・設備にとことんこだわった物件を提供しているが、それが本当に正しい姿なのかを検証し、より馴染んでいくための考察は欠かせない。

日本のやり方を押し付ける、一方的に取り入れさせるような提案ではなく、かといって全く形を変えてしまうわけではない、多様なカルチャーにアジャストしていくこと。網野が自身の人生で体験してきたことがそのままこの事業に活かされている。

「New Yorkだけでなく、日本人がグローバルに戦えるような環境づくりをお手伝いできたらなと思っています」
事業の発展だけでなく、日本人のある意味内向きなところ、何十年と海外に住んでいても“日本人だから”という括りをもつ意識を開いていくことができたら、と網野は感じている。アメリカにいくと、アイデンティティとしてのルーツ、自分がどこで生まれたのか何系であるのかということに誇りを持つことはあってもそこに固執はしていない人が多いのだという。
「日本人の殻を破って、もっとグローバルに世界に出ていってほしい」そんな思いが現実になる未来を願って、またその一助となるために、今の業務に打ち込んでいる。

成長が続くNew York事業を通し、ジャパン・クオリティで
より価値のあるものづくりを

New York事業が始まってからの5年は、コロナ禍の5年とも言える。密なやりとりが必要な時に対面で話すことができない状況が続いた。この間、網野はメールをベースに交渉を進めるという通常とは違う方法で前に進むしかなかった。
「コロナ禍でも、手を止めませんでした。動ける環境となったらすぐ飛んでいくぞという姿勢で準備をしていました」(網野)
不動産業務の経験がなかった網野は、まさに1からのスタートだったという。周囲に助けられながら、契約書を見て学び、購入した物件のリノベーション企画、工事進捗管理、デザインの選定からテナント誘致、そして売却など、一連の流れをすべて責任者としてリーディング・マネジメントする。ゆえに、プロジェクトリーダーという役割は、仲間同士の連帯がなければ成立しない。
「築100年を超える建物が全く違う姿に生まれ変わる、そして快適な住空間を満喫していただける、そこにやりがいを感じます」(網野)
建て替えではなく、生まれ変わらせることに喜びがある。エレベーターがないビルでも、新たに備え付けたりせずにそのままの形を生かす。これまで日本国内で培ってきたリプラニング事業におけるノウハウがふんだんに活かされている。

「どうせ無理」という言葉をなくしたい。「やればできる」しかないから

「New Yorkでの業務は日本にいる時と大きく変わらないですが、長期滞在に向け英語の勉強をしています」(宮野)
海外経験のない宮野は、1日3時間、英語の勉強時間を捻出している。日本の業務と同じように不動産にまつわるお客様サポートを行ったり、現地での事業基盤をより強固にしていくのが今回の渡米のミッションだ。リプランニング事業をNew Yorkで日本と同じレベルに近づけるためには、現地人財の採用と育成、そのためのマニュアル等も必要となる。今後に繋がる、重要な試みとなりそうだ。

New Yorkでの事業については応援の声が大半だったが、「コロナ禍で世界情勢が変わってしまった」など懐疑的な声も聞こえていた。それでも、宮野はやればできると信じてきた。New Yorkを初めて訪れたときに感じた「世界にはこんなところがあるんだ」という感動、もしお客様が自分と同じ感情を抱いて不動産を持ちたいと思ってくれるなら、自分の人生をかけて向き合いたい。市場を大きくし、日本のどこからでもNew Yorkの不動産が安心して購入できるようになる日を作る。その先に、New Yorkで一目置かれる不動産会社になる。それが宮野の夢となった。

「人の役に立つことは意識して行ってきたつもりですが、ものづくりはしたことがなかった」(網野)
よい商品の定義はさまざまで、儲かること、長く持つことがいい商品とされるかもしれない。そんな中で網野が思うよい商品とは、「それを見て、人のことを考えて作られた、思いやりが詰まっていると感じてもらえる商品」。最終的にビルを所有したお客様が、自分のことやこれから入居する人のことも思いやって創られたものなんだと感じてくれたら。そんなハッピーが詰まった物件を増やし、New York事業を通してお客様に選んでいただくこと。
宮野と網野共に高い目標を目指し、互いを支え合いながら進むチームの力が直球で伝わってきた。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

New Yorkの不動産を日本中の誰もが当たり前に取り扱える環境をつくる(宮野)
日本人がもっとグローバルに活躍できる後押しをしたい(網野)
編集後記

グローバル都市New Yorkで、ゼロから立ち上がった事業は「ジャパン・クオリティ」にこだわったものづくりの世界でした。100年を超えるレンガ造りの外壁が美しい緑の街路樹と織りなすハーモニーは、古いものを大切に守り、修繕し、常に新しい価値を生み出すという「もったいない」から生まれたサンフロンティアの想いと重なります。
そして階段を上りドアを開いた向こうに現れる住空間には、さりげなくもジャパン・クオリティの配慮が行き届いています。日本でウォシュレットが誕生して40年が経ちますが今も海外から来日した人たちから賞賛されています。そして「おもてなし」が世界共通語として広がっているように、かゆいところに手が届くようなきめ細かい配慮も海外にいってみて気付くジャパン・クオリティといえるでしょう。日本から米国へ渡ったチームは、「海外の素晴らしい建物を日本のお客様に安心して購入していただける世界をつくっていきたい」という夢に向かって突き進んでいます。
以前FRONTIER JOURNEY Vol.12で紹介させていただいた入社3年目で大きなプロジェクトを見事に成功させた小山峻平さんも最近このNew Yorkチームに加わりました。
今回の取材を通して感じたことは、日本から世界の市場に果敢に挑戦していく機会がこれからもっと増えていくのだろうという未来への期待です。ジャパン・クオリティを世界へ!多様なメンバーで構成されているNew YorkチームのJOURNEYがこれからも楽しみです。

New York事業の資料はこちらから

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

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“New York事業の成長を支える、 ニューフロンティア達が挑戦する ジャパン・クオリティへのこだわり” への1件のコメント

  1. 森田義彦 より:

    毎号、楽しく拝読させていただいております。それぞれの方が歩まれてきた人生を通した文章は興味深く、読後にはしっかり前を向いて人生を歩んで行こうと年配の自分も考えさせられます。何かにチャレンジしていくことに年齢は関係ないと勇気付られる気もします。ありがとうございます。感謝を持って送らせていただきます。

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