Vol. 054
島にシチズン・サイエンスの拠点を
植物一筋60年の植物学者が
佐渡のキャンバスに描く新たな夢
新潟大学 名誉教授
崎尾 均Hitoshi Sakio
2024年3月8日
NHK連続テレビ小説 『らんまん』で注目を集めた植物学の世界。その主人公のモデルとなった植物学者・牧野富太郎のように、植物への果てしない愛を注ぎ続ける人物がいる。新潟大学名誉教授・崎尾均氏だ。53歳で26年務めた県職員を退任、その後は新潟大学で教鞭を執り、かねてより夢に抱き続けていた教育の世界へ足を踏み入れた彼は、勤務地である佐渡の教育施設を改革するなど大きな功績を築いてきた。幼少時にすみれの花の美しさに魅了されて以来、徹底して植物に捧げてきた人生の情熱の源、そして見据える未来について訊いた。
現場仕込みの観察力で、自然の今をリアルに伝える水辺の樹木の第一人者
53歳から13年間、新潟大学農学部附属フィールド科学教育研究センター・佐渡ステーション(現:新潟大学佐渡自然共生科学センター)に携わる教授として佐渡の自然に深くかかわってきた崎尾氏は、『水辺林の生態学』、『水辺の樹木誌』(ともに東京大学出版会刊)等の著書を上梓した、水辺の樹木に関する植物学の第一人者でもある。
現在は新潟大学名誉教授に就任し、68歳を迎えた今も植物への飽くなき探求心を原動力に精力的に活動する彼の原点は、小学校1年生のときに母とともに田んぼのあぜ道で味わった植物採集の体験。そこで見つけたスミレの「紫色」への衝撃をそのままに、植物学者になりたいと決意した崎尾少年。その後も憑りつかれたように植物への情熱をあたため続け、生態学の世界へと足を踏み入れていく。
「高校時代に森林生態学者・吉良竜夫氏の著書を何気なく読んで、こういうことをやりたいなと漠然と思いました。それをきっかけに大学では富士山で生態学の研究をされている先生に師事して4年生から修士にかけて本格的に植物の研究をしました。その後は植物の素晴らしさを子どもたちに伝えたいと理科の教員の採用試験なども受けましたが、当時は募集1~2人に対して受験者が100~200人ととんでもない高倍率……。それでも植物に関わる仕事をしたいと埼玉県の林業職の採用試験を受けたんです」
実際は教員職に負けない倍率の高さだったが、見事採用をもぎ取った崎尾氏。初めての勤務地は自然豊かな秩父市のなかでも長野県に隣接する山深い地域で、日照時間がわずか4時間程度という谷間の底だった。そんな秘境の地に送り込まれ、「林業の“り”の字から徹底的に叩き込まれた」という2年間は、崎尾氏にとってかけがえのない経験になった。
「林業業務部では県有林にスギやヒノキの苗木を植え、森林を管理する仕事を任されました。管理する森林には樹齢300年や500年の樹木が育つ天然林もあり、なかでも直径1m50cm、樹高が40mにもなるシオジという水辺に生育する木に大変感激しまして、将来こういうところで研究したいという気持ちが芽生えました。当時そこで木の大きさを計測する調査もしていたのですが、それが今もずっと続いている研究の一つになっています」
造林の現場で経験した森林の管理から、水辺の森林を残していく大切さを改めて実感。その矢先、渓流管理などを行う土木関係の部署・治山課への人事異動が決まった。だが治山課ではかつてスギやヒノキを植林した場所に今度は治山工事が入り、水辺の樹木がすべて伐採されてしまうという光景を目の当たりにする。
「秩父の山で素晴らしい森林や渓流に感動したあとに、治山のためとはいえ渓流を壊すような事業に関わり、こんなことで良いのか?と大きな矛盾を感じました。でもこの一件でますます森林に対する想いが強くなり、渓流管理の未来について考えるようになったのは怪我の功名でしたね。その後、治山課の3年間を経て異動した林業試験場の研究部では、水辺の森林の生態に加え、再生や保全についての研究も始めました」
この研究は崎尾氏のライフワークとなり、2019年には『水辺の樹木誌』として1冊の本にまとめられた。また、大学在学中にスタートした富士山の研究もその後10年ごとに調査を重ね、2018年には40年目を数えている。
“島流し”から一転、大胆な組織改革で佐渡の森林を全国屈指の演習林へ
そうして山や樹木の生き方を追求してきた崎尾氏に、53歳を迎えた2008年、転機が訪れる。
「50歳を過ぎてこの辺が転職の時期かなと思い、当初からの教育に携わりたいという夢を叶えることにしたんです」
タイミングよく教授を募集していた新潟大学に思い切って応募した崎尾氏はそれから13年、農学部の学生のためにつくられた佐渡の演習林(新潟大学農学部附属フィールド科学教育研究セター・佐渡ステーション/現:新潟大学佐渡自然共生科学センター演習林)で教育に従事していく。今でこそ人気の実習地となっている場所だが、着任当時、職員たちには活気がなく、学生もほとんど訪れないうえに何年も赤字が続く状態だったという。
「ほかの大学の教授からは“店じまいに来た教授”と揶揄され、自分でもこれは “島流し”なんじゃないかなんて思ったりして(笑)。このままではいけないと、文部科学省が認定する教育関係共同利用拠点という、他大学や海外の大学にも開かれた実習施設にするプロジェクトに応募しました」
3年目でようやく、教育関係共同利用拠点に認定され、大幅に増額した予算で演習林の設備を一新した。これがきっかけで実習希望者が増え、職員も増員するなど赤字から見事に脱却。現在では全国から年間1000人以上の学生を受け入れる施設へと変貌を遂げた。
「組織をどういう風に変えていくかという、私にとってはそれまでで一番大きな仕事でしたね。施設や職員のレベルも高く、全国に数ある演習林の中でもピカイチの活動ができていると、今でも自負しています」
そして2019年には演習林に加えて同じく佐渡に施設をもつ新潟大学の臨海実験所と朱鷺・自然再生学研究センターと併せて3つの施設を1つのセンターにまとめる構想が持ち上がり、2年後には新潟大学佐渡自然共生科学センターが誕生し崎尾氏は初代センター長となる。
「学生からは『先生の話は現実味を帯びていて考えさせられます』とよく言われます。2年間造林の現場、3年間治山の現場を実際に経験したからこそ、リアリティがあるのだと思います。渓流の保全については林業試験場に異動してからずっと自分の研究のテーマになっているし、それを教育の現場で活かしていきたいと常々考えていたので、自分の講義でも水辺の管理については特に大きくクローズアップしています」
目標は佐渡市民の知識で築き上げるシチズン・サイエンス拠点の創設
新潟大学の教授として佐渡に足を踏み入れてから、10年以上にわたって島の自然と濃密にかかわってきた崎尾氏。そんな崎尾氏が感じる佐渡の一番の魅力は、海に囲まれている地形だからこそ成り立つ多様な生態系だという。
「植物だけみても、樹齢500年を超えるようなスギが見られる天然林があり、さらに広葉樹の林があり、海岸沿いにはタブノキやカシといった常緑樹の林がある。河川が縦横無尽に走っているので生態系がモザイク状になっているんです。冬には3m以上の雪が積もるので、山の上にある天然スギは想像もつかない形になることがある。そういう表情豊かな自然がとにかく素晴らしい」
多様な自然との出会いを目的に多くの観光客がトレッキングに訪れる佐渡。佐渡の花といえばカタクリやオオミスミソウ(ユキワリソウ)を思い浮かべる人も多いだろう。
「ほかにもレッドデータブック(絶滅の恐れのある野生生物種のリスト)に載っているようなランや、牧野富太郎が名前を付けた植物ヤマトグサなども佐渡には山のように生えている。このように希少な種が数多く生息しているのは、森林にダメージをあたえるニホンジカなどの大型の草食動物が生息していないという要因があり、佐渡は植物が育つ環境が整ったまさに“植物王国”なんです」
教授として一大プロジェクトを成し遂げ、現在は名誉教授として新たな関わりをはじめた佐渡の地。崎尾氏は佐渡の自然を伝えるアプローチについて、彼のキャリアの集大成ともいえる壮大な構想を抱いている。
「私がメインで掲げた課題は“地域との協働”です。ゆくゆくは佐渡に自然誌博物館を設立したいと考えています。通常では、研究者と市民が直接関わることは少ないけれど、博物館を通してなら佐渡の自然の素晴らしさを伝えていける。今あるジオパークやトキのガイドツアーなどのシステムをまとめて、佐渡の自然を概観できるシチズン・サイエンスのプラットフォームをつくりたいんです」
崎尾氏がいうシチズン・サイエンスとは、研究者だけではなく市民が自主的に行ってきた研究や受け継がれてきた知識などの情報を保存・展示することで、後世に継いでいくというものだ。
「佐渡には私より植物に詳しい人が何人もいます。例えば野草を利用してお茶をつくったり料理をしたり、サドオケラ(ホソバオケラ)という江戸時代に栽培されていた漢方薬を蘇らせる取り組みをしている人がいる。でもその知識を文章化するなり適切に保存しておかなければ、知恵が失われてしまう可能性があって。そういういろいろな取り組みをしている人が集まれるような場所=ネットワークができれば、それがまた人と人とを繋ぎ、さらに新しい情報が生まれてくる。そのプラットフォームになるような、市民がつくり上げる博物館をイメージしています」
博物館の基盤づくりとして、崎尾氏は現在さまざまな活動を精力的に行っている。2022年からは月に一度程度、氏が見てきた自然について佐渡市民と共有し討論するサイエンスカフェをスタートしている。また最近では佐渡観光交流機構とタッグを組み、佐渡の自然を全国に発信するオンラインアカデミーを実施した。
“植物王国”佐渡の素晴らしい自然のなか、植物たちの新たな生態を紐解きたい
植物に魅了された少年時代から現在まで60年以上、植物と密に関わり続けてきた崎尾氏。その原動力について尋ねると、子どものように目を輝かせた。
「生き物って本当に面白い、不思議なんです。そして数十年単位で長年調査を続けることで新たな生態が明らかになったり、温暖化や気候変動、ニホンジカの増殖などの環境変化が及ぼす生態への影響などが詳細に見えてきて本当に奥が深い。大学時代に師事した教授に『1種類の生物だけは誰にも負けない研究をしなさい』と言われていたのですが、それが私にとってはシオジでした」
しかし今、その貴重な生態系が残る佐渡の自然も地球温暖化の影響を色濃く受けているという。
「地球が温暖化していることは事実で、温暖化そのものを解決することはそう簡単ではないですよね。だからこそ、温暖化そのものよりも将来的な危機に備えて我々の日常生活をどう変えるかということが大切なのではないでしょうか。石炭や石油、レアメタルなどの地下資源はいずれ枯渇してしまう。そう考えたときに例えばエネルギーの中心を太陽光などの自然エネルギーにシフトしていくのは有効です。佐渡島もかつて“佐渡国”と言われていましたが、島のなかで完全な循環型社会ができていけばいいと思っています。一つひとつの小規模なコミュニティで食べ物もエネルギーも自給自足していく。それがいわゆるSDGsのSaDoGashimaを実現する根本なのかなと思います」
崎尾氏が提唱するのは温暖化だけでなく、火山の噴火や地震といった将来的な危機にも備えた循環型社会。その持続可能な考え方のお手本となるのは、やはり植物だという。
「植物生産というのは人間社会の一番基礎だと私は思っています。光合成で酸素をつくり、自生することで今度は動物の食べ物となって彼らを育んでいる。つまり太陽エネルギーを食べ物に変えているのはすべて植物ですよね。そして木は鉄やコンクリートよりも寿命が長く、木材として100年以上も保つ丈夫さがあってさらに再生可能です。いま日本では超高層ビルを木でつくるという構想が進んでいますが、そういった社会のパラダイム転換を目指さなければいけない時代になっているのです」
植物から人間社会の在り方を探っていくという、植物学者ならではの視点で語ってくれた崎尾氏。植物の研究に半生を捧げ、現在もなお、彼の研究者魂はとどまるところを知らない。
「花が咲いて、種ができて、それが飛んで新たな木が生まれる。その美しく神秘的なサイクル、いわば“木の生きざま”をひとつでも多く明らかにしていきたいですね。もちろん私の愛するシオジの木も含めて、私の人生をかけて探求していきたいと思っています」
Next Frontier
FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン
“木の生きざまを明らかにし
木のライフサイクルを一つずつ紐解いていく
”
編集後記
幼少期に抱いた植物学者になるという夢を見事叶え、教育の現場に立つという夢に53歳でチャレンジした崎尾氏。68歳になった現在、その目はさらなる未来を見据え、新たな夢を語る時には少年のような笑顔が輝いていました。
何歳になっても挑戦を続け、ひたすらに深く一つのことを掘り下げていくことの大切さを教えられた今回の取材。樹齢数百年のシオジの幹のように、彼の探求はさらに太くまっすぐに伸び、そして後世への財産になっていく。崎尾氏の取材を終え、人という生き物も、年輪を重ねながら命のバトンを継いでいく自然の一部なのだと私自身の背がすっと伸びるのを感じました。
先週、崎尾氏より素敵なツアー企画のご案内をいただきました。
【現地集合】SDGsの島,佐渡島の自然,文化,歴史を尋ねる旅 3日間〔風の旅行社〕
【FRONTIER JOURNEYをお読みいただいている皆さまへ】
崎尾氏が愛する草花そして佐渡の大自然を満喫する旅のご宿泊に「ドンデン高原ロッジ」をご紹介します。天空から見上げる満天の星の下、ビストロディナーもお楽しみいただけます。
ご予約の際、コメント欄に「FRONTIER JOURNEYの案内を見て」とお書き添えいただく、または電話予約の際に口頭でお伝えいただければ税込み料金から10%OFFとさせていただきます。
ドンデン高原ロッジ 自然リゾート〔公式〕
また佐渡両津港にご到着後、佐渡アウトドアベースにお立ち寄りいただくと、様々なアクティビティのご紹介やバイク、カー、カヤックなどのレンタルサービスがあります。
ご滞在中のプランにお役立てくださいませ。
佐渡アウトドアベース〔佐渡観光体験情報サイト GO to SADO〕
いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。
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