FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、様々な領域で活躍する「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 050

国境も言語もしなやかに超えて
グラフィティを描くアーティスト。
アートを通して“SHARE”したい“LOVE”のチカラ

グラフィティアーティスト
シリル・コンゴCyril Kongo

2024年1月12日

ペンやスプレーを用いて、街角に描かれる絵はかつて“落書き”とみなされることもあったが、いまや世界各地でその価値が認識され『グラフィティアート』と称されることがある。シリル・コンゴ氏は、フランスを拠点に世界で活躍するグラフィティアーティストだ。建物とアートを融合させたサンフロンティアのビルブランド「1/1」(ワン)の第一号ビル「1/1 32117」では、彼がビルの中に飾られる作品やエントランスのモニュメントを手掛けている。2022年11月にはビルの開業を記念し、東京・原宿にある同ビル1階にて彼の日本初の個展が開催された。
世界に向け熱い視線を送るコンゴ氏。そんな彼の哲学は、“今”を大切にしながら、さまざまな人や文化との交流によって完成されたものだった。

4色ボールペンから始まったアーティストとしての人生

ベトナム人の父とフランス人の母を持つコンゴ氏。1969年、フランスで生まれてすぐにベトナムに移り、幼少期のひとときを過ごした。その後ベトナム戦争の戦火を逃れるため、母親と共にコンゴ共和国に移り住みます。幼少期をベトナムで過ごしたためフランス語は話せなかったという。異なる言語や文化の中で生活することになった彼は、言語に依存しない表現として、自然と絵を描くようになる。

「子どもの頃は言葉が通じない人たちの中で生活していたので、いつも絵を描いていました。当時はよく4色ボールペンを使っていました。誰かからもらった特別なペンではなく、店で買ってきたどこにでもあるペンです。でもそれさえあれば自分の物語を描くことができたので、そこからアーティストとしての旅路が始まった気がします。絵を描くことはとても魅惑的で、無我夢中でした。6歳頃からでしょうか、絵を通じて、『“今”を楽しむべき。未来は今があるからこそつながっていく。だから、今こそが一番大事』ということに気づいたのです」

コンゴ氏がティーンエイジャーとして青春をすごした80年代は、ヒップホップ全盛期。学校では音楽やダンスなどが流行し、友人たちも各々にクリエイティブな才能を開花させた。コンゴ氏がグラフィティを始めたのはそういった周囲のエネルギーによる影響があった。彼は、学業そっちのけで絵にのめりこんでいくようになる。

「アートは、私にとって究極的には“媒介”に過ぎないと思っています。もちろん私は一生アーティスト。それは自信を持って言えます。ただ、アートを通じて、“人々とつながることで予想外の展開が生まれる”、そのことに何よりも喜びを感じるのです。

ストリートから生まれた、言語を超えたコラボレーション

ヨーロッパでグラフィティアートの存在自体が知られるようになった頃、コンゴ氏は本格的にアーティストとしての活動を始め、2002年にはフランス・パリでスタジオを構えた。その頃からキャンバスにも絵を描き、ギャラリーで自分の作品を発表できるようになる。

だが、彼の原点であるストリートでのグラフィティアートを忘れたわけではなかった。ストリートからギャラリー、そしてストリートへと、行きつ戻りつ、バランスをとりながら描き続けた。そんな中、アートの力を強く実感する出来事に遭遇する。ある日香港のストリートで絵を描いていると、ある男性が絵を見て「この絵を息子の帽子に描いてくれないか」と言ったのだ。傍らの息子もキラキラした目をして待っている。コンゴ氏は、元々、純粋で迷いがなくはっきりと自分の意見を言ってくる子どもという存在が好きだったこともあり、帽子にグラフィティを描いた。するとその男性はコンゴ氏に質問を始めた。

「『アジアや中国では活動しているのか』『どうしてグラフィティを始めたのか』と、警察の尋問かと思うほどいろいろなことを聞かれました(笑)。よく話を聞いてみると、その男性は世界的に名の知れたファッションブランド、シャネルのアジア地域を担当するディレクターだったのです。彼は私に、仕事のコラボ相手として興味を示してくれたようで、長い質問にも納得がいきました」

シャネルは世界的な高級ブランドとして確立されており、当時ヒップホップ文化を好んでいた彼にとって縁遠いものだった。しかしこの出会いからしばらくして、そのディレクターから「香港でウィンドウのディスプレイをやってみないか」という依頼が届く。

「2007年か2008年のことです。仕事のついでに香港の友達に会うのもいいだろうと考え、『もちろん』と応えました。最初はすごくカラフルなものをつくろうと思っていたのですが、ふと閃いて逆に白黒のアートをつくりました。カラフルなものを期待されたのに真逆のものをつくったのです。でも気に入ってもらえて、香港の空港で6カ月間展示されました。そのプロジェクトが成功した後、『今度はスカーフをつくらないか』と次の依頼がありました」

コンゴ氏にとって実に衝撃的な出来事だった。今でこそブランドとグラフィティのコラボはメジャーになったが、当時はまだストリートでのグラフィティアートは破壊行為としてしばしば犯罪のような扱いをされていたのだ。またスカーフといえば、シャネルにとって伝統的な技術によってつくられる“サヴォアフェール”(=匠の技)のシンボル。格調高いブランドとグラフィティアートの組み合わせなど、聞いたことがなかった。しかし未知の世界やプレッシャーにコンゴ氏はひるまない。むしろ彼を興奮させた。そして打ち合わせで実際に自身の作品を見せたとき、意外な点が評価されたのだ。

「当時、周囲の友人たちがアート制作にパソコンのソフトを用いる中、私は紙にインクを染み込ませるシルクスクリーンで作品をつくり続けていました。そのこだわりを高く評価してくれたのです。こだわりを持っていいものを一生懸命つくれば、言語も職業の壁も越える。パソコンではなく手を動かしてアートをつくる私と、そのイズムを認めてくれたディレクターの彼は互いを深く理解し合うことができました」

そうしてコラボが始まり、コンゴ氏はスカーフのデザインに取り組むことになった。

ミュージアムで学んだ“サヴォアフェール”のフィロソフィ

コラボを進めるにあたり、まずはシャネルについて勉強する必要があったため、パリにあるガブリエル・シャネルのミュージアムへと向かったコンゴ氏。ミュージアムには過去につくられた数々のアイテムが展示されており、シャネルの歴史をたどるにはうってつけだった。

「普通のミュージアムに入ったときとは何か違う雰囲気を感じました。ミュージアムというと大きな施設を想像するかもしれませんが、そこは小部屋が続いているような見慣れない空間。シャネルを象徴するたくさんのアイテムが展示されており、その雰囲気から長い歴史と伝統が生み出す強いエネルギーを感じたのです」

施設内を専属の女性担当者が案内してくれた。コンゴ氏が中を見て回る間、彼女はコンゴ氏の質問に丁寧に答え、「各アイテムがどのように作られたのか」、全て説明してくれた。気づけば6時間が経っていた。コンゴ氏は彼女の知識の深さに感心すると同時に、長い歴史とシャネルのフィロソフィをその場ですぐに理解することは困難だと感じた。そんな彼に担当者は、「あなたはこれを全て理解するのに1週間かかるわね。でもじっくりと消化していけば大丈夫」とやさしく伝えてくれたそうだ。

「彼女の言う通り、1週間経った頃には私もシャネルのフィロソフィを理解し始めていました。そしてシャネルのフィロソフィと私の価値観はさほど遠くないことが分かってきたのです。グラフィティは、描き手が自らの手で自らの情熱を表現するアートです。ニューヨーク、東京、ロンドン、パリ……いろいろな都市の歴史がある中で、現地の文化を吸収してその国ならではのアートを描く。そしてシャネルも、ハンドメイドであること、クオリティを追求すること、そしてヒューマニティを大事にしていた。イメージやルーツは異なるものの私の持つ価値観と相似していたのです」

そのフィロソフィに感銘を受けたコンゴ氏は、このとき自分の中で大きな変化が起こるのを感じたという。スカーフのコラボの話を受けたときは、シャネルの “サヴォアフェール”をつくるべく、シルク生地にただ自分のアートを描いていけばいいと思っていた。しかしミュージアムで自分のアートとブランドの共通点に気づいた瞬間、「こんなものをつくりたい」というインスピレーションが溢れ出てきたのだ。その後コンゴ氏は、ミュージアムで得たアイディアをもとに、グラフィティとサヴォアフェールを融合させた色鮮やかなスカーフをつくり上げた。その後はエルメスとのコラボも実現し、ブランドとグラフィティアートという前例のない試みが次々と実現していった。

“心の共鳴”から始まった未知なる世界への挑戦

「2013年のある日、シャネルのメンバーと集まってディナーに出かけました。そこに、丸メガネで地味な男性がいたのです。彼は時計のエンジニアでした。メガネ越しに私を見て、『あなたは何をやっている人ですか?』と話かけてきたのです。最初は自分とは雰囲気が違うという印象だったのですが、話をしているうちに彼が非常に情熱的で、私との共通点があるのが分かってきました」

2人は意気投合し、何度か会うようになった。コンゴ氏にとって時計は未知の世界だったが、男性の時計への情熱に魅力を感じ、何度も話を聞いた。そんなある日男性から、「一緒に時計をつくらないか」と話を持ちかけられたのだ。コンゴ氏が「時計に、ましてやトゥールビヨン(※)にグラフィティのペイントなんて可能なのか」と聞くと、男性は「片手でできるよ」と答えた。これは「楽勝だ」という意味だそうだ。

※トゥールビヨン:機械式時計に特有の機構で、時計に搭載されている渦巻き状のヒゲゼンマイにかかる重力の影響を減らすための仕組み。ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダーと並ぶ、時計界の三大複雑機構の1つである。

「その2日後には、私のスタジオに時計ブランドの職人が何人かやってきて、お互いの作品を見せながら、グラフィティと時計の話を始めました。熱量が凄くて、かなり圧倒されました(笑)。『私が担当している時計にはこんなふうにペイントしてほしい』『この時計にはどんなペイントができるか考えて欲しい』という感じで、みんな時計の話をしているのですが、それが専門的な内容で何を言っているのか私にはさっぱり分からない。1人だけ置いていかれて、ポカンとしていました」

とんでもない領域に足を踏み入れてしまったことに気づき始め、「そのときは本当に後悔した」とコンゴ氏は笑った。延々と続く話を聞いた後、彼はそこから2年がかりのコラボを進める。既存の枠にとらわれずに新しいアイディアを出すというということは想像以上に困難を極めた。しかし同時に感じる喜びは大きく、コンゴ氏の後の生き方にも大きな影響を与えた。

「このプロジェクトを成し遂げたとき、もうどんなことでもできる気がしました。ストリートで描くグラフィティはキャンバスが大きいので自然とエネルギーを発散しながら描けるのですが、時計ではそうはいかない。でも地味なことや苦手なことも根気強く続ければ達成できることを知っていました。もちろん、私ひとりの力ではありません。共に時計をつくりあげたメンバーは私のためにスタジオをつくってくれたり、役立つツールを貸してくれたり、みんな協力的でした。私たちはお互いの才能を活かすために最大限の努力をしましたが、それはお互いに共鳴し合う部分があったからこそ。2年間で30本の時計を仕上げるのが精一杯でしたが、やりきりました」

“SHARE”と“LOVE”がアートの原動力

コンゴ氏が描くグラフィティは、ストリートから始まり、スカーフや時計にまで広がった。しかしストリートでアートを描くことに重要な意味があるという考えは今も変わらない。時間がかかるうえに目立つことが多いストリートアートは、描いている最中によく人が集まってくる。そのため、絵に対する反応や質問をその場で聞くことができる。ファッションブランドのディレクターが息子の帽子にグラフフィティを描いてくれと頼んだように、アートを見る人と現在進行形で直につながるのだ。コンゴ氏はそういった瞬間に、アートを通して人と共鳴することの喜びを感じる。「今まさにここで起きている交錯だからこそ、思いをそのままに共有できる」。だからこそ、過去に日本で何回か展覧会を開催しないかと声をかけられたことがあったが、自分がやりたいこととのずれを感じたため実現しなかった。

「『ただ絵を展示するだけでは駄目』と思ったのです。普通のギャラリーは、絵を壁にかけていれば人が入ってきて、絵を見て、何かしらの感想を抱いて帰ります。でも私のアートは、見る人と“SHARE”することが重要。だから、自分が伝えたいメッセージをきちんと伝えられるような展示でなければいけませんでした。来てくれた人と話をして、インスピレーションを分かち合いたい。サンフロンティアの『1/1 32117』のプロジェクトではそれを実現できる、そう確信しました。私は日本という国を心から尊敬しています。日本人の何事にも細部までこだわる姿勢は素晴らしい。以前日本で訪れた料理店では、スタッフが5、6人いるのに対しお客さんの席が10人程度ということがありました。『これだけの職人たちは今たった10人のために働いているんだ』と思ったら感動しましたし、少々高い料金にも納得できました。アートについても効率性を求める大量生産はクオリティを希釈化すると思っています」

自分のアートは見るだけではなく体験してもらいたい。それはストリートアーティストとしてライブ感を大切にし、多くの人と交わってきたコンゴ氏だからこその信念。そしてカラフルで大胆な色彩も大きな特徴のひとつだ。この表現にも独自の意味がある。

「この色合いは、私が人生の中で感じる喜びや幸せを表しています。そして作品を見る人たちに“SHARE”したいのです。私がグラフィティを描く一番の目的はそこにある。私は“LOVE”という言葉をよく使うのですが、人がお互いに共有できる最も強いエネルギーが“LOVE”だと思うから。“LOVE”がなかったら、人は生きていないのと同じだと思います。だから私は、自分が生きる上で得た“LOVE”を、アートを通していろいろな人に“SHARE”したいのです」

アートを展示して一方的に思いを伝えるだけでは、人と人が共鳴することはできない。自分の感動や喜びを人々と共有することが最大の目的であり、グラフィティはそのための媒体。そう考えるコンゴ氏のフィロソフィは、サンフロンティアの社是である利他の精神と見事に重なる部分がある。使う言語や立場が違う相手でも分け隔てなく交わり、その交差によって起こる奇跡を愛する彼は、これからも世界を飛び回って彼のフロンティアをつくり出していくのだろう。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

“未来”のために、“今”をやり切る
編集後記

コンゴ氏を取材させていただいたのはサンフロンティアのビル「1/1 32117」で個展が開催されていた2022年の11月。 “今”を大切にし、どんなことにもチャレンジしていくコンゴ氏は常にポジティブでユーモラス。そして愛に溢れる彼の話に取材現場では皆の笑顔が絶えませんでした。人を魅了してやまない彼の人間性が、これまでの出会いとそこから生まれる化学反応を起こし続けてきたのでしょう。そして“SHARE”が重要なのだと強調するコンゴ氏は、アートを通してこれからも人と巡り合い、愛とインスピレーションを交差させて目を瞠るような作品を生みだすことでしょう。

この記事を皆さんにお届けすることをお伝えした際、「僕のインスタグラムでも作品をみていただけますよ」とこちらをご紹介いただきました: Cyril Kongo(@cyril_kongo) • Instagram写真と動画
また、こちらはコンゴ氏の初来日・初個展「CYRIL KONGO’s POP-UP STUDIO “FROM PARIS TO TOKYO”」に関する記事です。ONE | CYRIL KONGO (oneisart.com)

サンフロンティアでは、アートのあるビルや街を通した活動を今後も展開していきます。お楽しみに!

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

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