Vol. 042
佐渡の暮らしと自然を次世代につなぐ
大海原を望むカフェから見据える島の未来
佐渡ホンダ販売株式会社 取締役/しまふうみ事業部長
松柴 敬太Keita Matsushiba
2023年9月8日
日本海にありながら、暖流に包まれた佐渡は、豊かな自然に恵まれている。沖縄に次ぐ面積を有するこの島で、視界いっぱいに広がる緑と海の調和を、美しいオープンテラスから一望できるカフェが「しまふうみ」だ。佐渡で一度は行きたいカフェとして、必ずといっていいほど名が上がる人気店の店長を務めるのは、運営母体である佐渡ホンダ販売株式会社の取締役であり、しまふうみ事業部長の松柴敬太氏だ。
佐渡ホンダ販売(株)は、自動車販売業をはじめ、カフェや雑貨店、ゲストハウスなど、地域に寄り添った事業を多角的に展開。佐渡の産業構造や、自然環境保護に課題意識をもってさまざまな活動にも取り組んでいる。敬太氏は上京して一度は島を離れるも佐渡に戻り、地域の人々にも観光客にも愛される地域の醸成に取り組んできた。常に考えてきたのは次世代につなぐための“島づくり”。島の将来を見据える氏の思いに迫った。
「島に帰るべきか」上京を境に葛藤を抱えた学生時代
「佐渡という島の“風”や“味”を感じていただきたい」という思いから名付けられた「しまふうみ」。波の音や海風に包まれながら味わえる食事は、佐渡の味覚を季節ごとにアレンジしている。扱う食材は、佐渡で採れた果実由来の天然酵母が使われたパンをはじめ、野菜や果物、黒米、米粉など、ほとんどが佐渡産。島の風味が凝縮された味わい豊かな食事を、真野湾の大パノラマとともに楽しめる。自然の恵みをいっぱいに感じられるカフェを営む松柴氏は、自身も佐渡の豊かな自然に囲まれて育った。
「佐渡という島の“風”や“味”を感じていただきたい」という思いから名付けられた「しまふうみ」。波の音や海風に包まれながら味わえる食事は、佐渡の味覚を季節ごとにアレンジしている。扱う食材は、佐渡で採れた果実由来の天然酵母が使われたパンをはじめ、野菜や果物、黒米、米粉など、ほとんどが佐渡産。島の風味が凝縮された味わい豊かな食事を、真野湾の大パノラマとともに楽しめる。自然の恵みをいっぱいに感じられるカフェを営む松柴氏は、自身も佐渡の豊かな自然に囲まれて育った。
「とにかく外遊びが好きで、よく海や山で遊んでいましたね。イワナやヤマメを釣りに渓流に出かけたり。登校するときは鞄に教科書ではなく竿を入れていく。振り出し竿なので、短くすれば入る。そのまま友だちと授業をサボって山に行くんです(笑)。高校生の頃は原付バイクに乗るようになって、山へ繰り出して季節の草花やオオルリ、アカショウビンといった鳥を見て楽しんでいましたね。今思えばそういう遊びを通して自分のなかに佐度の原風景がつくられたのかもしれません」
遊びのなかで自然と触れ合う機会が多かった松柴氏は、東京にある大学の農学部を進路に選択。上京して初めての都会を経験する。
「生まれ育った故郷と都会とのギャップに驚きました。電車に乗ることにも迷って。雑踏も初めてだったものですから、ただ歩くだけなのに、人にもしょっちゅうぶつかりそうになっていました。あらゆるものがカルチャーショックでした」
馴染むまで苦労した東京の生活だったが、一方で佐渡に戻ることについては迷いもあったという。
「若かったのもあり、葛藤はありました。農学部を選んだのは佐渡に帰って学んだことをいかせるようにと思ってのことでしたが、いざとなると迷う。実家の事業を継いでも、友だちはみんな佐渡を出ていますし……」
佐渡に人が戻ってこない――。人口流出は現在に至るまで島が抱える課題の一つ。当時の松柴氏も実際に直面した悩ましいジレンマだった。
「専門分野をいかせる仕事がないというのが、人が戻らない一番の理由なのかなと思います。私たちの世代は人生の進路について「こうあるべし」と教え込まれたパターンがあって、そこから外れた道が想像しにくいんですよね。ただ、今は多様性の時代で、それが徐々に変わりつつある。新しいライフスタイルを示す事例に佐渡がなれたらと思っています」
病気をきっかけに故郷の未来を考える
迷いを抱えた松柴氏を佐渡に引き戻したのは、命に関わる病だった。
「数年間、原因不明の腹痛に悩まされ、20代の時に、内臓の手術をしたんです。普通は幼い頃に発症する病気らしいんですけど、それが大人になって出る例は珍しく、佐渡では初めての症例でした。佐渡病院で緊急手術をしてもらい、数時間遅かったら危なかったということを先生に言われました」
命に関わる体験は、故郷を見つめ直すきっかけとなった。
「病気の回復を待って佐渡に数年留まっていた時期と、心理的な葛藤を抱えていた時期が重なったことで、その時間を利用して、故郷の佐渡について勉強し直しました。佐渡が将来どうなっていくのか、社会動態も含めて。人口が極端に少なくなれば、例えば私が受けたような手術の医療体制を備えることも難しくなる。そういう現実が見えたので、データをあさり、ほかの離島や本土、諸外国と比較して、うまくいっているところといっていないところを見つけて、島が復活できるヒントを探したんです」
療養期間を経て、松柴氏は佐渡に残ることを決めた。
「病気をするまでは、都市で生活したいという気持ちが強かったんです。それがこの経験を通じ、命をもらったという感覚が芽生えた。その恩をふるさとに返したいと思いました」
それから松柴氏は独学でパンづくりを勉強し、2011年に「しまふうみ」をオープン。故郷の食と自然を満喫できるベーカリー&カフェとしてスタートした。
「地域のための事業を」島外出身の父と思いを重ねる
佐渡ホンダの前身は「佐中オート」で、70年程前に祖父がはじめたオートバイ屋です。その後、1972年に、株式会社化の流れとなり、佐渡ホンダ販売株式会社として再始動しました。創業は祖父で、父は30歳で事業継承後、地域密着の多角化事業を展開しました。
半世紀近くの間、自動車販売の枠を超えて、地域に寄り添った事業を展開。はじまりは、地域の人々が気軽に集える場としてディーラー内にカフェを併設したところから。その後、バイク関連グッズを販売していた「MOBILITY WORLD」は利用客の声を受けて雑貨店へと進化し、「しまふうみ」「coffee&tea22」といったカフェや、ゲストハウスをオープン。海を渡った新潟沿岸近くの沼垂では、弟の松柴達也氏が「紡ぐ珈琲と。」というカフェを営み、いずれも佐渡ホンダ販売が手掛ける事業の一環として、地域に愛される憩いの場を提供している。
「父は、とにかくお客さまに支えられているんだと。だから地域のために貢献するんだと。私が幼い頃から、口癖のようにずっと言っていました。」
父、尚治氏は山梨県出身。知己のない佐渡で販路開拓を任され、まさにゼロからのスタート。次々と事業を展開する尚治氏が歩んだ道のりは決して平坦ではなかったようだ。
「地域に馴染むまでは苦労したようです。父が佐渡に来た当時は県外出身者に厳しい土地柄でもあったと思います。そこから時間をかけて、地域の皆さんに面倒を見ていただけるようになった。それで父も地域のためになることをしたいという思いを強くしたんだと思います」
携帯電話が普及し始めた頃にはいち早く販売ショップも開いた尚治氏。時代の風を察知して佐渡に新しい文化を吹き込んだのも、一貫して島の未来を考えていたからだろう。
「父が体現しているように、内外との交流があって初めてイノベーションが生まれるんだと思います。新たな新陳代謝とともに、島の未来が活気づく。」
島外とつながれる事業でないと、佐渡に持続可能な社会は実現しない。単に事業継続の観点からではなく、人が定着しにくい島全体の社会構造に危機感を覚えてのことだ。
「地域の雇用に貢献して、初めて事業として認めてもらえるというのが、父の考え。佐渡の課題に雇用があるのだとしたら、そこに寄与するような仕組みづくりをしなければという気持ちは、私も同じです」
父がもつ地域発展に対する信念、持続可能性のビジョンを、松柴氏は受け継ぎ、拡大している。
暮らしのなかで“自然体”を受け入れてくれる佐渡の魅力
観光客はもちろん、帰省した出身者もよく利用しているという「しまふうみ」。島内だけでなく、島外の観光客にも高い評価を得ているのは、料理やサービスの枠にはまらず、佐渡の魅力を丸ごと感じられるためかもしれない。
「最初の頃は、大勢でなくてもいいから、来てくださったお客様が落ち着いて過ごせるようなイメージの店づくりでした。今は運営スタイルを色々と模索してはいますが、価値の中心に置いているのは、佐渡の良さを率直に見て、感じられるかどうか。サービス、料理はもちろん、その場にいるだけで、佐渡そのものを体験してもらえる施設でありたい」
その場所は、地元の人々にとっても島の魅力を再発見する場となっているようだ。
「観光目的のお客さまも多いですが、地元のお客さまも多く利用してくれています。老若男女、島内隅々からちょっとした観光のニュアンスで来てくださるのがすごくうれしいです」
カフェの評判を支える景観に一役買っているのがオープンテラスだ。
「庭の手入れはがんばっていますね。自社でも行いますし、植栽については、西香園さんやSiltさんにお願いしています。Siltさんは海外で植物について学ばれて佐渡に移住されたかたです」
人口流出に課題を感じる一方で、多様な人材が佐渡に集まり、定着しつつある実感も得ている松柴氏。さまざまなバックグラウンドを持つ人たちをひきつける佐渡の魅力はどのようなところにあるのだろう。
「本当に自分たちがやりたいことをここで表現できること。自然そのものの暮らしのなかで、自然体でいられる。佐渡のネイチャーとカルチャーのいずれもが人をひきつけているのだと思います」
人の心をつないでいく 佐渡ブランドの本質
「しまふうみ」では、ほかにも佐渡ジオパーク推進協議会や、水産資源の回復を目指すプログラム「ブルーシーフードガイド」とともに、環境課題にも取り組んでいる。料理メニューの1つである「佐渡ジオパークプレート」は、サステナブルな水産資源を活用する活動の一環として提供している。地元への恩返しを決めてから、松柴氏は一貫して、未来に続く島づくりに向き合ってきた。
「景観面でもサービス面でも、佐渡の良さを伝えられる組織づくりをこれからも継続してやっていきたい。自然環境はもちろん、佐渡には文化・歴史的に価値があるものが多く継承されているので、そういったものをしっかり伝えられる仕組みも導入したいですね」
観光面では、離島ならではの課題にも目を向ける。
「温暖な南方離島と比べると、どうしても冬季に観光がピタッと止まるんです。これまではなかなか越えられなかった壁だったのですが……。今は米、ルレクチェ、リンゴ、イチゴ、それから海産物だとブリなど収穫の時期が、秋口から早春に集中することをいかせないか模索しています。これらの農水産物と観光業をミックスして通年でビジネスを回せると、南方離島とは異なる産業モデルができる。その仕組みづくりに挑戦しているところです」
そのために島内で協力しあい、地域の同業者や組織との横のつながりを強めている。
「起きていることをタイムリーに情報共有して、互いのやりたいことに役立てられるようにしています。一昔前だったら自分ひとりで抱えていたと思うんですけど、皆で一緒に島づくりをやっていかなければいけないし、今は、そうできる環境があります」
共創の輪が広がり、モノ・サービスのクオリティを高め合うことで、佐渡にしかない特別な価値が生まれることを見据える松柴氏。
「佐渡が推している観光を大事にしつつ、世界遺産の有無に関わらず、持続可能な観光産業でやっていくことが大切だと思っています。そのためには、クオリティにこだわるお客さまに向けて、しっかりと付加価値を高めていくことが必要です」
世界遺産だけではなく、佐渡そのものがブランド価値となって全国に認知される。松柴氏の見据えるビジョンは、彼がこだわる「しまふうみ」の食事や景観が物語ってる。佐渡ブランドの実現を可能にする原動力はどこにあるのだろうか。
「“人”です。人の哲学と熱意だと思います。それがないと本当に難しい。今まさに、そういう熱意を持ったかたが増えています。これからの佐渡がますます楽しみです」
佐渡に新しい風が吹きつつある。祖父、父の代から続く松柴氏の挑戦は、さらに先の未来まで見据えたものだ。
「もちろん時間がかかることですし、難しいことや歯がゆい思いをすることもあります。私ひとりができることは限られているので。それでも次の世代、そのまた次の世代にバトンをつなぐために、今このタイミングでできることをやる。それだけです」
当事者として楽観も悲観もせず、ただできることをやる。島の未来を語る松柴氏は笑顔を崩さない。
「もうやるしかないっちゃ。っていう感じです」
Next Frontier
FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン
“活気と才能に溢れる若い世代とともに
世界に誇れる未来の佐渡をつくる”
編集後記
同世代の多くの島民がそうしたように、若い頃、佐渡を出て東京で暮らすことを選んだ松柴氏。しかし、彼が生まれ故郷に戻る決断をしたのは、命に関わる病気を経験したからでした。人は「自分の存在とは何か」を見つめ直すとき、自らのルーツを辿り、この社会において果たすべき役割に気づくのかもしれません。その後の彼のパワフルな活動と機知に富んだアイデアを語る謙虚な姿にすっかり惹き込まれてしまいました。松柴氏の取り組みもあって、多様なバックグラウンドを持つ人々が集まりつつある佐渡。“自然体”でいられることが佐渡の魅力だと松柴氏が語ったように、人も自然もありのままの姿で共生し、本当の意味でのダイバーシティが根付く佐渡のこれからがますます楽しみになってきました。
いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。
FRONTIER JOURNEY メルマガ登録はこちら!
Voice
基本的にVoiceでお送りいただいたコメントはサイトに掲載させていただきます。
ただし、内容によっては掲載されない場合もありますので、ご了承ください。