Vol. 041
佐渡から日本を、そして世界を変えていく
「持続可能な社会モデルの実現」という市長の“しま夢”
佐渡市長
渡辺 竜五Ryugo Watanabe
2023年8月18日
新潟県の佐渡から、地域の経済と文化を活性化させ、「島国ニッポンを元気に!」を志す“しま夢”事業。規模が大きく、息の長い地域創生事業には、民間企業の力だけでなく、行政との連携が欠かせない。佐渡市のトップとして、“しま夢”プロジェクトを強力にバックアップするのが渡辺竜五市長だ。彼は、「日本を元気にする」ことはもちろん、世界にも影響をあたえうる持続可能な社会モデルを生み出そうと奮闘している。
佐渡で生まれ育った“生粋の佐渡人”として、佐渡の歴史や文化に直接触れてきた渡辺氏が見据える未来や壮大な構想を聞いた。
一公務員の立場から大規模プロジェクトを成功させ、世界を見通す
渡辺氏は、佐渡で土木や建築を営む家庭で生まれた。そのまま地元を離れることなく育ち、佐渡にある中学、高校へと進学。学生時代は野球に熱中したという。就職のタイミングになると、ゆくゆく家業を継ぐことも視野にした長男だったため、佐渡を離れるか、地元に残るか迷いがあった。
「いつか家業を継ぐと思っていたので、地元の役場か、もしくは佐渡を一度離れても戻れる可能性のある防衛省や気象庁の公務員になりたかったんです。ただ、地元の役場ではあまり募集がなく、かなり狭き門だったのであきらめていたのですが、たまたま7年ぶりぐらいに役場で募集があって。なんとか採用されました(笑)」
佐渡市は2004年に複数の市町村が合併して誕生したが、当時はそれより前のこと。渡辺氏は前身の一つ、相川町役場に就職した。30代の頃は、“素早く正確に仕事をして、休むときは休む”という理想的なワークライフバランスを心がけた。そして2004年、10の市町村が合併して佐渡市ができ、佐渡市役所の職員になった。
「市役所時代の仕事で印象的なのは、2007年に立ち上げた『朱鷺と暮らす郷づくり認証制度』ですね。その頃は佐渡のお米が不人気で、当時の市長から『佐渡の米と朱鷺を合わせて、認知を高められないか』という相談があったんです」
渡辺氏が中心となってチームで作り上げた「朱鷺と暮らす郷づくり認証制度」は、環境負荷の少ない独自農法で育てた佐渡産コシヒカリを「朱鷺と暮らす郷」として認証する制度で、認められた米は認証マークを使用して販売することできる。現在では、豊かな生物多様性と食の安心を提供するこの制度のおかげで佐渡の米の認知が広がり、生産が追いつかないほど売れるようになったという。
さらに、国の特別天然記念物であるトキの餌場や生物多様性の維持と、米づくりの両立を目的とした同制度によって、佐渡市は、伝統的農林水産業を営む地域である「世界農業遺産(GIAHS)」の認定につながった。渡辺氏は、環境や農業、生物多様性などの国際会議で発表を求められるほど佐渡の存在を世界に示すことになっていった。
「『朱鷺と暮らす郷づくり認証制度』プロジェクトはすごく大変でしたけど、まったく苦痛じゃなかったですね。やりがいがあって、チームみんなで考えながらトライ&エラーをしていくのはすごく楽しかった。このプロジェクトをやり切ったことで皆が高い目標を持てるようになったと思います。それに、これをきっかけに出会えた国内外の人たちは、現在も代えがたい財産です。……なんて大きなことを言っても結局は公務員ですから、市民の方に『お米が売れるようになった!』と喜んでいただけるのが、一番うれしいんですけどね(笑)」
「佐渡はダメだっちゃ」…かつて佐渡では、観光が“迷惑産業”だった時代が
2022年に渡辺氏は佐渡市長に就任する。市役所職員のように特定の分野に携わるのではなく、市の抱える課題や市民生活、進むべき方向性など、佐渡そのものについて考える立場になった。渡辺氏は佐渡における観光をどのようにとらえているのだろうか。
「佐渡の主な産業は、建設と製造、農林水産、そして観光です。“しま夢”事業の柱である観光は、実は佐渡ではかつて地域にとってマイナスの多い“迷惑産業”になっていた時代があるんです」
昭和50年代、佐渡島にはバブル経済、離島ブームが訪れ、夏休みを中心に多くの観光客が佐渡へと足を運んだ。当時はバス移動が中心で、市街にあった民宿は人であふれ、お土産店や商店街も賑わった。渡辺氏も「浴衣を着て散歩をする人がたくさんいて、街には活気がありましたね」と懐かしそうに振り返る。
しかし、その後団体旅行が急増し、市街にバスが入れなくなった。そうなると郊外に次々とホテルが建設され、同時に、個人の車で旅行をする人も増え、その結果、島の商店街や飲食店から旅行者がパッタリといなくなってしまう。
「郊外のホテルで食事や宴会ができ、お土産も買えるから観光客が街に来ないんです。『金山やトキを見学して、ホテルでご飯を食べる』だけが佐渡の観光になっていきました。住民にとっては『車がたくさん来てうるさい、ゴミが増える、お金は落ちない』というマイナスの面が多かった。実はホテルにとっても、団体旅行は代理店を通しますから薄利多売で、お客さんに名物を食べていただくことも難しいギリギリの状態だったそうです」
このような背景もあり、観光客からは「佐渡の料理は美味しくない」と評判が立ち、さらに人気が低迷して宿泊費は下落。悪循環の末、観光は、佐渡の住民にとって、ありがたみの少ない“迷惑産業”になった。
「ずっと佐渡にいる私は、幼い頃のにぎやかな時代から、どんどん観光が衰退していく様子を見てきました。役所に勤めてからは観光と直接携わることはなかったのですが、市民からはなんとかできないかと声が寄せられることはありましたね」
食や自然、交通インフラ、商店など多くの人が関わる“総合産業”である観光の衰退は、佐渡に大きな影響を与えた。渡辺氏も、住民が口癖のように、「佐渡はダメだっちゃ(佐渡はもうダメだよ)」と口にするのを聞くようになっていった。
観光の活性化には“佐渡にしかない豊かな四季と文化”を体感してもらうこと
佐渡の観光が衰退していく様子をその目で見てきた渡辺氏だが、市長になった今、佐渡の魅力を正しく伝えることさえできれば、佐渡には訪れた人を魅了できる大きなポテンシャルや独自性があると確信しているという。
その1つが、日本の縮図とも呼ばれる植生を生む、豊かな四季だ。
「(北緯)38度線上にある佐渡は、爽やかな夏と雪の積もる冬、過ごしやすい春と秋というはっきりとした四季があり、そのおかげでりんごとみかんの両方が採れるくらい豊富な植物が育つんです。私はよく自転車に乗るんですが、美しい花々に心地いいウグイスの鳴き声、爽快な風と共に全身で自然を味わえます。訪れた人には、まず佐渡の空気や自然を体感してもらえれば、素晴らしさがすぐに伝わると思います。
沖縄のレジャーは、佐渡でもすべてできるんじゃないかな。夏場中心の半年間だけですが(笑)。ただ、残りの半年は沖縄ではできないことができますよね」
そしてもう1つが、かつて世界一の質・量を誇る金山があったという独自性の高い、佐渡の歴史と文化だ。
「『世界遺産暫定リスト』に記載された金山があったおかげで、かつての佐渡には全国から労働者が集まり、独自の文化やコミュニティが発展しました。たとえば、全国の能舞台の1/3が佐渡にあるのを知っていますか? また、仏教の日蓮も佐渡と深い縁があり、さまざまな足跡が島内に残っています。コロナ禍の前までは、仏教の文化を体験することを目的とした欧米人の来島が増えていましたよ。
私もSNSなどで積極的に佐渡をPRしたり、職員には『金山とトキを見てホテルに滞在する』というかつての観光ではなく、島そのものを体感してもらうよう伝えています。佐渡ではリゾートや自然、史跡などさまざまな楽しみ方ができるので、何度も訪れて毎回異なる楽しみ方をしてもらいたいですね」
こうした努力もあって佐渡の観光は徐々に注目を集めており、最近では「佐渡はダメだっちゃ」と口にしていた市民の意識に徐々に変化が現れているという。
「観光は総合産業ですから、活気が地域にも伝わっていきます。観光の影響だけではありませんが、新しいお店や企業が生まれたり、投資がはじまったり、移住者も増加したりしています。『佐渡も少しずつ変わってきたね』なんて声も聞こえてくるようになりました」
市政の長として、どんな時代も豊かさを守りつつ、世界をリードするモデルを生み出す
渡辺氏には、これからの佐渡で実現したい2つの大きな目標があるのだという。
「1つは、人口減少と高齢化が避けられない時代でも、佐渡の豊さを最低限、維持すること。具体的にいうと現在の佐渡の総生産の維持です。
これは日本全体にいえることですが、現実的に今後、人口が減って経済規模も小さくなっていく可能性が高い。むしろ小さくなることを肯定的に受け入れ、対応していく必要があると思っています。人口が減っても総生産を維持できれば、豊かさにつながるはずです。これは覚悟をもって意地でも達成したい」
佐渡の豊かさを維持するうえで、高齢化は大きな課題のように感じるが、渡辺氏によるとそれはまったく問題ないという。
「高齢者が健康でなくなることが課題なのであって、高齢社会自体は何の問題もないと思っています。私の祖父も92、93歳まで畑をやって、好きなコーラを飲んで楽しんでいました(笑)。高齢になっても農業や水産業に従事できれば、元気なシニアは地方にとって財産です。いかにずっと元気で過ごしてもらうかが重要で、高齢者を医療で支えながら、佐渡では『健康寿命』の日本一を目指しています」
佐渡では、市役所の仕事をシルバー人材センターに委託するなど高齢者雇用も促しているが、渡辺氏は「もう無理に年齢で区切らなくてもいいんじゃないかと思っています。年に関係なく、“元気な人”が“働けない人”を支えればいいんです」と話す。また、高齢社会や人口減少を肯定的に受け入れる一方で、若い移住者を増やし、経済規模を確保するための取り組みも行っている。
「移住者を増やすために、住む場所と仕事をセットで提供できるようにしています。たとえば状態のいい古民家を市が改修して移住者のお試し住宅にしたり、仕事場として貸し出したりするなどの仕組みをつくりました。また、ビジネスや経済の分野では、数年前に『佐渡ビジネスコンテスト』をはじめました。入賞すれば専門家によるサポートや補助金が受けられるので、すでにその中の数社は上場も視野に入れています」
避けられない人口減少に正面から対応しながら、同時に人口増加と経済発展を目指す取り組みも行う。このバランス感覚こそ、渡辺氏の為政者としての優れた資質の一端なのだろう。
もう1つの目標は、島から日本を元気するという“しま夢”事業にも通じる壮大な計画だ。
「少し大袈裟な言い方をすると、“佐渡国”のようなイメージで、島内で多くのことが循環し完結できる社会モデルをつくりたい。一番難しいのはエネルギーの問題なんですが、佐渡は環境省が取り組む『脱炭素先行地域』に選定され、行政が積極的に太陽光発電設備や蓄電設備の導入を進め、二酸化炭素を出さない、化石燃料に頼らない脱炭素の取り組みをはじめています。また食の部分では、佐渡は豊かな自然環境がありますので十分な作物がつくれますが、現代の人たちの味覚に対応できるよう米に加えて小麦の生産にも挑戦しています。
佐渡の循環型社会モデルを実現していくことで、島国である日本を同じように元気にできるはずです。さらにはそれにとどまらず、世界中の島を元気にできるモデルに挑戦していきたいですね」
佐渡は、日本が抱える課題が先行して現れる“課題先進地域”と言われることが多いそうだが、渡辺氏は「だったら“課題解決先進地域”になろうじゃないかと思っています」と微笑む。
現実に適応したリアルな取り組みを実践しながら、同時に壮大な理想を持ち合わせる渡辺氏の挑戦が続けば、近い将来、島から「佐渡はダメだっちゃ」は消え去り、「島に帰って来いさ」という声が聞こえてくるだろう。
Next Frontier
FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン
“どんな未来が来ても佐渡の豊かさを守り、佐渡という“島”で循環できる持続可能な社会モデルを生み出す”
編集後記
渡辺市長の語る「佐渡ビジネスコンテスト」は、佐渡市と創業・企業誘致支援団体NEXT佐渡が取り組んでいるコンテスト。入賞者には佐渡市雇用機会拡充事業補助(最長5年間3/4補助率で4,800万円支援)での審査時加点や人的・物的環境の構築支援、さらには各種ベンチャー支援ファンド等へのマッチングもできるという「しま夢」の実現に向けた施策が始まっています。
現在、佐渡は『起業の島』として注目を集めており、官民が連携した企業誘致の取り組みだけでもここ数年で30社以上が佐渡市で創業、またはサテライトオフィスを展開しているそうです。
取材でお会いした渡辺市長は、時に夢見る少年のようなまなざしで佐渡の今そして未来を語ってくださり、しま夢の絵を描きながら心地いい時間を過ごさせていただきました。高齢社会に対する明快なメッセージにも実現可能性を感じました。佐渡から世界へ、しま夢の実現にこれからも注目していきたいものです。
いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。
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