FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、様々な領域で活躍する「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 039

優先するのは、自社よりも常に顧客の成長
「喜びの共有」で
Webマーケティング業界を変革する

アークワードコンサルティング株式会社 代表取締役
中村 慎也Shinya Nakamura

2023年7月28日

Webマーケティングを軸に、顧客ごとにオーダーメイドの解決策を提供するアークワードコンサルティング株式会社。代表取締役である中村慎也氏が掲げるミッションは「お客さまのTrusted Advisorであり続ける」こと。これまでに手掛けたプロジェクトの全てが、なんと“顧客の紹介”によるものだという事実は、顧客にとって「真に信頼されるアドバイザー」であることを証明している。
顧客の成功に真摯にコミットする彼の行動原理は「喜びの共有」。人の喜びが自分にとって最大の喜びだと語る彼の軌跡と想いに迫った。

「カスタマーサクセスこそが大事」。世界トップレベルの会社で最初に教えられたこと

植物の“根”から着想を得た特徴的なデザインが目を引く港区赤坂のオフィスビル「+SHIFT NOGIZAKA」。共有部に配置された真鍮のあしらいがクラシカルで重厚感のある雰囲気を醸しつつ、業務スペースにはVol.005に登場したアーティスト、丸橋聡氏のカラフルな作品が飾られ、空間の開放感を引き出している。

あらゆる企業が根付き、大きな樹々のごとく育つようにという願いが込められている+SHIFT NOGIZAKAで、自身も成長しながら、接ぎ木をするように顧客の成長にコミットし続ける企業がアークワードコンサルティング株式会社だ。
創業者の中村氏にとって、顧客の成長が至上命題であることは、社名においても表現されている。

「アークは架け橋(Arc)、ワードは前進(forward)つまり成長を意味しています。顧客の成長の架け橋でありたいという思いから、社名を決めました。Webマーケティングを手掛けながら“コンサルティング”と銘打っているのは、マーケティングだけの会社にしたくなかったから。あくまでも顧客の成長に当事者意識を持つ会社にしたかったんです」

Webマーケティングは終着点ではない、その先に目指すべき顧客の成長を実現するため伴走する。目的と手段が明快な彼のプロフェッショナルとしての姿勢は、キャリアのスタート時点で強く植えつけられたものだった。

「新卒で入社した会社がある意味、私の親鳥のようなもので、仕事に対する価値観に強く影響を受けました。入社すると、会社のカルチャーが書かれた名刺サイズのカードを渡されるんです。特に強調されているのがカスタマーサクセス。顧客満足は仕事をする以上、当たり前のこと。大事なのは顧客の成功であり、そのお手伝いをすることが仕事の大前提だと、社会人となって最初に教えられました」

彼がファーストキャリアを築いた古巣は、コンピュータネットワーク機器の開発・販売を行うグローバル規模の外資系企業だ。2000年初頭、この会社に就職したのは、インターネットが世の中を変える流れを強く感じたためだった。

「銀行、物流、製造、どんな業界もインターネットの登場で変わらないものはない状況」だったと語る中村氏は、インターネットに欠かせないツールとして、ネットワークインフラを提供する会社に注目したのだという。しかし、当時の彼にITの知識はほとんどなかった。

「大学が法学部だったので、ITの勉強はほとんどしてなくて……。面接では本当に大丈夫かと念を押されました(笑)。これまでに学んだことは大事だが、常に新しいことを学ぶ姿勢こそが大切だと思うと返答しました。特にITは進化の速い業界なので、現在でもそういう姿勢で仕事をしています」

入社後、厳しく指導されたこともあったが、名実とも業界トップクラスの一流企業で働いた経験が、手段と目的を混同しない彼の仕事観を形成した。

「提供しているのはネットワーク機器ですが、目的は顧客のIT戦略の実現。機器を売るだけだと本当の意味では評価されない。この点をまちがえて厳しく指導されることもありました。そうやって鍛えられたことが、現在も生きています」

初心を忘れない姿勢は、起業時のオフィス選びにも反映されている。最初のオフィスを構えたのは、かつて新卒として入社した会社の本社があった土地だった。

「本社跡地に建った新しいビルに縁あって入れることになり、オフィスを構えました。私の原点として、仕事への思いを忘れないためにも」

企業の成長よりも組織の成長、人の成長を志し、人材業界へ

そうして実績を積んだ社会人数年目。楽しみながら仕事に打ち込む日々のなかで、某金融機関グループでの、ITネットワーク部門を立ち上げる案件をきっかけに、中村氏の仕事観に新たな視点が生まれた。

「それまでは自社のテクノロジーを使って、企業の成長に寄与したいと思っていました。それもやりがいはあるのですが、プロジェクトマネージャーのような立場で人に関わったことで、組織をつくって、その成長や人の成長に寄与することもまた魅力的な仕事だと気付いたんです」

ちょうどそのとき、中村氏に転機が訪れた。

「当時ヘッドハンティングでお声がけいただくことが何度かありました。自分としても、自身の市場価値を知りたいという気持ちがありました。そこで人材を扱う企業の人と面談をする機会を得て、自らが何を実現したいかという話をしたら、『それウチでも出来ますよ』といわれたんです」

ITから人材業界への転身。組織や人の成長に仕事の醍醐味を感じはじめていた氏にとって魅力的な提案だった。一般に外資系から日系企業へ転職することについて、仕事の進め方やカルチャーのちがいなどによる衝突を心配する向きもある。実際、入社面接で念を押されたが、中村氏にとっては大きな問題ではなかった。

「1度行きたいと思うと、もうそこしか見えなくなっちゃう。恋愛みたいなものです(笑)」

現在でこそ転職は珍しくないが、2000年代当時は否定的な見方もあった。履歴書に「傷がつく」と見られることもあった時代だからこそ、中村氏は転職支援という新たな職務に社会的意義を感じたのだという。

「雇用の流動化は今後、日本社会に必要になってくると漠然と思っていました」

転職を特別視しない外資系のカルチャーに身を置いていた影響を認めつつ、そもそも氏にとって職業選択の機会は楽しく、特別なものだった。中村氏自身は就職氷河期の最中に就職活動を経験していたが、苦しいと感じたことは一度もなかったというから、その言葉は真に迫っている。

「学生時代の様々な決断は、親の意見を踏まえることもある。でも就職活動は、自分の人生を自分の意思で切り拓く、最初の扉。だからすごく楽しいものだと捉えていたし、自分が輝ける仕事に就けるのが一番いい。今考えれば圧迫面接のようなものも受けましたが、それすら楽しんだ。転職は、よりバージョンアップした扉を開き続けたいということ。そのお手伝いをするのは、非常にやりがいのある仕事だと思いました」

転身を果たした中村氏は、新規事業として“転職メディア”の立ち上げに参加。前職の経験を生かし、大手企業に対して積極的に営業を行い、年間で一億円以上の売上を達成した。

「立ち上げ時期から関わったおかげで、さまざまなプロジェクトを通して人を巻き込むことが多く、社内の人間関係が広がったんです。その縁は現在も続いていて、起業当時の一番大きなお客さまは当時の同僚でした。かつての仲間がクライアントとパートナーという関係になって、一緒にお仕事させていただけるのは、不思議な感じもありつつ、ありがたいなと」

思い切った転職だったからこそ出会えた縁だと、氏は振り返る。

人生を貫く「喜びの共有」という価値観、その原体験

当時は帰宅することすら忘れてしまうほど仕事に夢中になったという中村氏。業種を問わず大きな成果を挙げ続けられた秘訣は、氏の“相手の喜びが、自分の喜び”という一貫した行動指針に垣間見える。

「『喜びの共有』という、仕事をするうえでずっと大切にしてきた思いがありました」

「ITも人材も、あくまで手段。大事なことは手段を使って、関わったステークホルダーやお客さまの成長や成功に寄与できるかどうか。成功のお手伝いをして誰かに喜んでもらえることが、私にとっての一番の喜びです。喜びの共有を実現できるかどうかが、仕事を進めるうえで常に大切にしている基準なんです」

なぜ、他人の成功にそこまで喜びを感じるのだろうか。原体験は子供の頃の記憶にさかのぼる。

「そういう気持ちが芽生えたのは子どもの頃ですね。明確に意識するようになったのは、中学、高校ぐらい。たとえばクラスの友達にテスト勉強を教えて、いい成績が出て喜んでくれるということがあって。別におごってもらえるわけでもなく、私にメリットはないんですけど、喜んでくれたことがすごくうれしかった。大学時代には塾の講師として働いたのですが、そのときも生徒の成績が上がって喜ぶ姿を見るのがやりがいでした」

自分にとってうれしいことだから、他人の喜びを追い求める。中村氏にとって、ごく自然に湧き出る感情の帰結として「喜びの共有」を行動の軸に据えてきたのは、家庭環境の影響もあったのかもしれない。

「『喜びの共有』という言葉自体は私が考えたんですけど、そこに至る根っこの部分は、母親の影響があったように思います。小学生の頃、母が私の通知表でチェックしたのは 学業の成績ではなく、『思いやり』などの行動の記録。そこだけでした。だから自然と、成績よりも誰かの役に立つことのほうが大事だと考えるようになったのかもしれません」

「永遠の2番手」を卒業して経営者へ

2番目の人材業の会社においても、氏の価値観がうかがえる象徴的なエピソードがある。

「社内で個人のプレーヤーとして表彰されることもありましたが、それよりもうれしいのはチームで評価されたとき。あるいは、自分のチームのメンバーが表彰されたときが、すごくうれしかった」

喜びを共有できる相手は多ければ多いほどいい。チームで成果を挙げることに喜びを感じた体験が、より多くの人を巻き込む活躍の場へと中村氏を誘った。

「当時、40歳までに会社の経営メンバーになるという目標を立てました。人材業界での経験を通じ、チームで成長するプロセスが本当に楽しくて。これをもっと経験できる立場はなんだろうと考えたときに、経営に携わるという道が見えたんです」

実際は想定していたよりもずっと早く目標に到達してしまう。マーケティング会社のスタートアップに役員としてヘッドハンティングされ、32歳で専務取締役に。それから約8年を経て、2018年にアークワードコンサルティングを立ち上げるが、役員として働いていた当時は経営トップになりたいと思うことはなかったという。

「経営メンバーとして働いていた当時は、自分は社長になるタイプではないと思っていました。明確に、私は“永遠のナンバー2”だと認識していたんです」

しかし、時間が経つにつれ、“ナンバー2”である自意識と仕事のスタンスに“ずれ”が生じる。

「その会社の代表とは同じ思いを共有していたはずでしたが、それでも段々とずれてくる。考えているゴールは同じでも、そこへのアプローチについて私と代表で意見が割れることがあった。経営陣の中で異なる意見が複数出ては現場に不安をあたえてしまう。これは良くないと思ったので、別々の道を歩むことにしました」

前職の代表に独立を告げたとき、「まさか自分でやりたいというとは思わなかった」と驚かれたという。周囲からも意外に思われる決断だったが、二番手としての自己像を捨て、トップとして事業を率いる立場になったことで、見える景色が変わった。

「今思うと、私は経営メンバーではあっても代表でないので視座が近視眼的になりがちでした。しかし、いざ自分が経営者になると、覚悟も変わる。社員に対する責任もすごく感じるようになりました。
私はビジネスパーソンとしての基礎を叩き込んでくれた最初の会社の先輩の教えを忘れないためにも、1社目を転職した時からその先輩と同じ時計を長らく愛用していたんですが、起業したとき、起業の初心を忘れないように初めて自分で高価な腕時計を購入しました。迷ったり、辛いことがあったりしたら、この腕時計を買ったときの気持ちを思い出しています」

とはいえ、中村氏にとって経営はプレッシャーよりも楽しさのほうが勝るという。

「役員のときと比べ、ビジネスパーソンとしての理想がより明確になっています。会社がすべきことについて決めるのは自分。より先が見えるようになって、お客さまにより高い価値を提供するには、という点をとことん考え抜けるようになったので、非常にワクワクする仕事です」

喜びを分かちあうために、架け橋をつないでいく

創業から5年目を迎える現在、中村氏はWebマーケティング業界を変えたいという大きな目標を抱えている。

「本来あるべきサービスを受けられずに、業績向上につながらないお客さまがいる。まだ歴史が浅い業界だから、小手先の広告やSEO対策だけでお金をいただけてしまうという現状があります。でも本来あるべき姿はちがう。
せめて我々がお会いするお客さまに関しては、Webマーケティングという手段によって企業価値を向上してもらいたい。その積み重ねが、結果的にこの業界全体に対するイメージを良くすることだと信じています」

「社員には、自社の利益を優先する提案は一切しなくていいといっています。その代わり、お客さまの役に立つことをがむしゃらにやる。一部の社員を除いて売上や粗利目標も設定していません。それよりもお客さまの成果にコミットする。その本質を忘れてはいけない」

アークワードコンサルティングの仕事に通底する理念は、若い時分に友達に勉強を教えていた中村氏が見た原風景に限りなく近い。

「会社員時代よりも役員時代。そして役員時代よりも経営者として責任を持つ今のほうが、自分がよりピュアになった実感があります」

アークワードコンサルティングがこれまでに手掛けた仕事は、全て顧客の紹介によるもの。顧客が顧客を呼び仕事を広げていったという事実が思い起こされる。
確かな成果を出してきたからこそ得た信頼を糧に、中村氏と同社は今後ますますの成長を遂げ、喜びの架け橋を広げていくのだろう。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

心と心でつながる仕事にこれからもこだわり続ける。
顧客の成果にコミットする価値を業界全体に広げていく。
編集後記

昨今、巷で話題のChatGPTをはじめとする生成AI。Webマーケティングの分野にも影響が及ぶのではと思い、中村氏の意見を聞くと「AIの技術は素晴らしい」と前置きしつつ、「それとてあくまで手段。本質を見失ってはいけない」とも。まさに、目的と手段を混同しない中村氏の一貫した姿勢がうかがえる見解でした。
「時代を変える」「仕事を奪われる」といったセンセーショナルな言説に踊らされAIを含むテクノロジーの進化を追いかけるより、その先に実現できる価値を冷静に見つめる姿勢が真のリーダーなのだと改めて確認することができました。そして「人の喜びを自らの喜びに」という氏は、サンフロンティアのクレドである「利他」と深く結びついていて取材がつい前のめりになっていきました(笑) 
最後に、子どもの通知表を手にした時、何を大切に思うのか、中村氏の原体験から大いに考えさせられます。

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

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