FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、様々な領域で活躍する「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 037

自分に足りないものは何かを起点に仕事を選ぶ。
飽くなき向上心で業界を牽引する
ファシリティビジネスの旗手

株式会社クリフ 取締役
本田 太郎Taro Honda

2023年6月30日

Keywords

お客様とともに、未来を創る――「CREATE The Future」というミッションを社名として掲げ、オフィスファシリティサービスを提供する株式会社クリフ(CREFu)。競合が多い業界にありながら、2016年の設立以来年商を伸ばし続ける、まさにスタートアップの旗手だ。
代表の原伸裕氏とともに同社を立ち上げたのが、本田太郎氏。新卒以来3社を渡り歩き、着実なスキルアップと人脈を築いたうえで同社を起業した本田氏の来歴は、重要なスキルの1つである戦略的キャリアプランにおいて令和のビジネスパーソンのお手本そのものに見える。一方で、一つひとつの言葉を深掘ると、泥臭い昭和なエピソードが見え隠れする。常に「自分自身に足りないものは何か」を追求し、局面を乗り越えてきた本田氏。その妥協なきビジネス哲学を聞いた。

「仕事はあたえられるものではなく、つくるもの」。高い目線を持ち新卒3年目で営業トップに

ほかにはないスピード感と高コストパフォーマンス、そして何よりもプロとしてのレベルの高い仕事。それらすべてを標準で提供するクリフが、ファシリティ業界で頭角を現しているのは必然といっても過言ではないだろう。
新規参入でありながら、他社を引き離すビジネスモデルの構築に成功したクリフ。同社に注目するうえで、切り離せないのが本田氏の来歴だ。就職氷河期真っ只中の2000年に大学を卒業した本田氏。そのスタートは決して華々しいものではなかった。

「当時、何かものすごくやりたいことがあったわけではなく、学生が考えがちな『なんとなく食品の開発かな』程度の認識で、食品メーカーを中心にしつつも広めに就職活動をしていました。でもひとつも受からなくて。結果的に唯一内定をいただいた内装関係の会社に就職した、という消極的な流れだったんですよ」

内装の資材調達会社の営業職として最初にあたったのが、床材やカーテンなどをハイエースに積み、内装業者に届けるというルートセールス。しかし既存の顧客のみに依存し、手を広げようとしない会社のやり方に疑問をもち、ほどなく独自のやり方で新規顧客の開拓に着手。結果、わずか3年目で売り上げトップに躍り出る。

「とはいっても、当時の僕の営業は決してスマートなやり方ではなかったんです。タウンページからリストをつくって飛び込みで新規営業したりと、周囲から見ると無謀だったと思いますね。お客さまからこれまで自社で扱ったことのない商材を要望されたら、イチから自分で調べて取引ルートを開拓して納入したりもしていました。負けず嫌いで、1番を目指すことが好きなんですね」

「仕事はあたえられるものではなく、つくるもの」。当時からその精神を徹底して貫いてきた本田氏。取引先を広げていくうち、メーカー側の仕事に興味が湧いて、2000年代中盤にパーテーションメーカーへと転職。ITバブルだった当時、携帯電話会社のコールセンター用パネルなどを納入していたその会社も、時代の恩恵にあずかっていたという。
営業成績トップの冠を掲げ、期待されての入社。しかしそこで本田氏は思わぬ壁にぶち当たった。

「会社から即戦力になることを期待されていたんですが、思った以上に畑がちがい、自分のスキルや経験値の不足を思い知らされて。最初の1年はほとんど営業アシスタント的な仕事に甘んじていました」

しかしそこで腐ることがなかったのは、ある上司の存在が大きかった。

「当時、すごい上司がいたんです。数字に強く、かつセンスも抜群。営業なのにクリエイティブな発想をする一方で、細かい部分も目が行き届くという、まさに胆大心小といえる人でした。僕たち部下にも同じレベルの仕事を求めるんですが、なかなかついていけないんですよ。そのプレッシャーもあって、部署全体が、月末になると朝までデスクにかじりついて仕事していましたね。そんな上司の前では自分の評価なんて二の次で、当時はもう言われたことを全力でやるしかないと走り回っていました」

当時は「大嫌い」だったという上司のスピード感や、一人ひとりが自立したプロフェッショナルであることの重要性など、現在のクリフで本田氏が重視していることの多くは、彼に学んだことでもある。

「彼に出会わなかったら、今の僕はない。今ごろ会社の愚痴を言いながらなんとなくグダグダ働いている冴えないサラリーマンになっていたかもしれない。当時は本当に嫌いでしたが、実は感謝しているし、尊敬しています。正直、反面教師にさせてもらっている部分もありますが(笑)」

「自分に足りないものは何か」。転職先に求めたのは、活躍よりも学べる場所

そんな上司に求められるままに、レベルの高い仕事に無我夢中で捧げた20代後半。辛いこともあったがそれよりもあたえられる刺激が多く、スポンジが水を吸い込むようにひたすら貪欲に学んでいった。会社から2駅先の自宅には着替えと寝るためだけに帰る日々――。そんな仕事漬けの日々をがむしゃらに駆けていた本田氏の足を止めたのは、家族の言葉だった。

「入社して2年目に結婚したんですが、あるとき妻に『これは結婚しているといえるんだろうか』と言われて、はっとしたんです。家族にそこまで我慢を強いて続ける必要があるのか、と」

立ち止まり、自分の状況を冷静に俯瞰しながら次の道を思案しはじめた本田氏。そのときの考え方がユニークだ。一般的に、転職活動にあたっては条件面以外に、自分の強みをいかせるかどうかを重視するだろう。しかし、本田氏は、むしろ「今の自分に足りないものは何か」という視点で転職先を選んだ。

「ファシリティ業界に入って1社目で資材の流れを知り、2社目でメーカーとして元請けや設計の仕事を学びました。今、自分に足りないものは何か、と考えたとき、当時ITなどのインフラ系が伸びていたので、通信系も学んでおきたいな、と。そこでオフィスのITインフラを手掛ける会社のファシリティ事業部を選択したんです」

そして、そこで現在クリフの代表を務める原氏と出会うことに。

「僕が入る少し前に入社していたのが原でした。第一印象は、『1人だけヤバそうな奴がいるな』という感じでしたね。僕への当たりがきつくて。あとで聞いたら、僕のことをすごくライバル視していたということでしたが(笑)。当初、原とは別チームだったので、一緒に動くということはあまりなかったんですが、お互い意識していましたね」

互いを横目に見ながら目の前の仕事に邁進していく良きライバル、という関係だった2人が、いつしか仕事に対するスタンスに共通点があることに気づいていく。

「オフィス移転や改修のデザインや工事を請け負いつつ、電話や複合機のネットワークの商材も一緒に引っ張ってくる、というのが僕たちの仕事でした。その頃は、飛び込み営業は限界があることがわかっていたので、エンドユーザーを紹介してくださる会社を見つけるという営業を心掛けていました。そうして顧客を増やしていたんですが、ふと気づくと別チームの原も同じやり方をしていたんです。『人からあたえられた仕事ではなく、自らが切り拓いていく』、という視点は一致していたんです」

真の意味でプロフェッショナルであろうとする部分で共通していた本田氏と原氏。さらに営業スタイル以外でも本田氏は工夫を怠らず、より顧客目線のやり方へとコミットしていく。

「プロジェクトを大人数で細分化して行うという従来のスタイルから、小さい案件なら1人ですべて手掛け、全体像を把握するようにしていました。必然的に、営業の場でも相手と濃い話ができるようになっていきます。ファシリティ業の魅力のひとつに、経営者と直接お話できるというのがあると思っていますが、そのためには相手の業界のことをしっかり知っておく必要があります。そんな学びのチャンスや、経営者の方々の高いスキルを吸収できるという点で、この業界ってすごく面白いなと改めて感じたんです」

そんな本田氏のプラスの変化を如実に感じていたのが、ほかでもない妻だった。

「あるとき、ふと『なんか最近いい感じだよね』って言われたんですよ。『さっき鼻歌を歌ってたよ、洗面所で』と。それまで悲壮な僕を見せてしまっていたので、その言葉に僕自身がすごく救われました。転職してよかったんだな、と妻のおかげで思えましたね」

“気質のちがうライバル”との組み合わせで、最強タッグに

その後、同社のファシリティ事業部が別会社に譲渡されることが決定した。本田氏はそこで初めて原氏と同チームに組み込まれることに。お互いをライバル視していた2人だったが、チームリーダーの座はあっさりと原氏に譲ったという。人をまとめることが得意なマネジャー気質の原氏と、独自に動いて仕事の幅を広げていく本田氏。2人の気質のちがいが、パズルのピースがかみ合うがごとく、見事にはまった瞬間だった。

「リーダーって、聞こえはいいですが、実際は矢面に立たされるしがらみの多い立場です。僕はどっちかというと自由にやりたい方。会社からの突き上げなどは全部原に引き受けてもらって、やりたい提案だけするというずるい立場でいさせてもらっていました。実際、原のほうがマネジメント力が高い。僕は自分勝手なところがあるので、当時、まだチームをうまくまとめるということができなかった。そんな僕たちを同じチームにしたのは、社長の采配もあったと思います。競わせるよりお互いの得意分野を別々にやって、連携させたほうがいいと考えたのかもしれない。実際、そういう距離感になって、原とは余計親密になっていきました」

その後7年ほど同社に籍を置くなかで、社のさまざまな方針転換に見舞われ、徐々に本田氏と原氏は会社のやり方に違和感を覚えるようになっていく。

「毎週数字のための会議をして、その準備をみんなにさせる。議題といえば売り上げの話ばかりになってきて。どこを向いて仕事をしているんだろうという疑問が大きくなっていきました。原や僕は、数字って勝手についてくるものだと思っているんです。儲かる、儲からないの二択ではなくて、お客さまと一緒につくり上げる、結果売り上げはついてくる。それでいいじゃないかと。失敗してもいいから、自分たちが正しいと思うやり方でやってみようと原と話して、起業を決めました」

レッドオーシャンで戦うための武器は、「スピード感、ハイレベルな仕事、顧客目線」

本田氏と原氏がクリフを起業するにあたって軸とした理念は2つ。①お客さまと一緒につくること、②分業ではなく、一人ひとりが受注から納品まですべてを担当できるプロフェッショナル集団にすること、だ。

「もちろん、我々のやり方が世の中に理解されるのか、メンバーがついてこられるのかという点で大きな不安がありました。でもせっかくリスクを冒して起業するなら、自分たちの信じるままにやりたいようにやろうと。失敗しても、死にはしないんだから…最後はもう勢いでしたね」

起業にあたっては、直前に出資金の話がなくなり自腹での起業となったり、参加予定だったメンバーの話がとん挫したりと紆余曲折あった。「ザ・スタートアップ」とも言えるほどドタバタを乗り越えてはじまったクリフは、原氏と本田氏の2人体制が1年ほど続いたという。

「最初の3ヵ月くらいは売り上げ1万円、ほぼ毎日オフのような感じで、焦りました。どんどん自分のお金がなくなっていくのを目の当たりにすることになって…。でも、それがすごく良い経験になりました。僕たちのお客様であるビルのオーナーさんたちは、自分のお金を出してくれているわけです。お客さまの大切なお金を自分たちもしっかり収益化させていかないといけないと思うようになりました」

その後、会社は波にのり、1期目で売り上げ1億円を達成。直近の6期目で10億円と右肩上がりの成長を続けている。レッドオーシャンへの新規参入にも関わらず、成功した秘訣はなんだったのだろうか。企業秘密に切り込んでみると、冒頭でも触れた3つの種を明かしてくれた。
ひとつめは、抜群のスピード感だ。リアクションや提案のスピードは同業者のなかでも群を抜くと自負する。

「弊社のスピードは速いです。電話で案件を依頼すると、相手は『見積書をつくってご連絡します』って普通は言うじゃないですか。『いや、今教えてください』とお願いすることも多いです。どうせやるなら後回しにしていいことって何もないんですよね。できれば関係先もそういう想いでいてほしいと仕入先にもついスピードを求めてしまいます」

2つめは、会社を立ち上げる軸のひとつと同様、究極のプロフェッショナルであること。

「一人ひとりが営業からプランニング、現場までをすべて担当できるので、お客さまをお待たせせずに進めることができるというのも強みだと思っています。スタッフのレベルも元部長クラスの人間を揃えているので、営業で負けることはほぼないんですよ。この業界はお金よりも相手への信頼を重視するお客さまが多いので、全員がどこへ出しても恥ずかしくないプロとしてのスキルをもっていることを重視しています」

そして3つめは、顧客目線。売り手の独りよがりにならない、コストパフォーマンスの高い提案を重視しているという。

「オフィスデザインは、高いものを使ったら見栄えが良いものになるのは当たり前なんです。伝わらない表現にお金をかけないように、というのは口を酸っぱくして指示しますね。例えば、目立たないところに数百万の什器を置いても意味がない。ブランドもので全身をかためるのではなく、ファストファッションをベースにしながらも効果的にハイブランドを配置するというイメージです。ホテルなどだとまた考え方が違ってくるとは思いますが、僕たちのお客さまであるオフィス企業が求めるのはそういうところなのかなと理解しています」

そういった経営理念は、これまでの経験に加え、稲盛和夫氏の経営論も影響していると明かす。

「利よりも信を得る、というときれいごとに聞こえますが、ごく当たり前のことなんですよね。僕は結構ひねくれているんですけど、そんな僕でも理解できます(笑)。起業後、サンフロンティアさんとも早々につながって、さまざまなお仕事でご一緒させていただいていますが、お蔭でその考え方がより強く染みついてきた気がしますね」

人が集う場をつくる。「生きがい」と言い切る仕事で、ネクストフロンティアへ

経営側である身として定休日という発想はなく、仕事がある限りルーティンに捉われず打ち込むのが信条という本田氏。ワークライフバランスが叫ばれる昨今の潮流には逆行する生き方にも見えるが、自身は「家族が1番なのは当然ですが、仕事は生きがいそのもの」と言い切る。

「仕事とは何かと聞かれると、20代の働きはじめの頃は生きるための手段で、そこから自由に楽しく、に変わって、今ではもうなくてはならないものになっています。仕事がないと、僕はたぶんすぐに老け込んでしまうと思うんですよね。ありきたりな言葉ですが、まさに生きがいってやつです」

今後の目標について尋ねると、現在の事業をよりスケールアップしていくことにとどまらず、次のフロンティアを明確に見据えている。

「これまではオフィスに特化していましたが、もっと広い視点で見ると場をつくる、ということだと思います。オフィスという言葉でまとめてしまうと無機質ですが、実際は働く場であり、収益を上げる場であり、楽しむ場でもある。つまり人が集う場をつくるという風に考え方をシフトさせれば、オフィスに限らずたとえば店舗やそれ以外の領域にも広がっていきます。そのためにもどんどん経験値を重ねて、さまざまな業界を知る必要がある。その知見が、巡り廻って本業のファシリティ業にフィードバックできるとも思っています」

今の自分に何ができるか、そして何が足りないかを常に考え、次への足掛かりを着実に重ねてきた本田氏。地に足の着いたキャリアアップを重ね、たどり着いたのは、「利よりも信を得る」というシンプルな正論だった。
そんな本田氏のビジネス哲学を体現するクリフが、今後どんな方面へと活躍の場を広げていくかが楽しみだ。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

ファシリティサービスのプロフェッショナル集団として、
人が集う「場」をつくる会社へと成長させていく
編集後記

「仕事はあたえられるものではなく、つくるもの」。新卒間もないうちから、誰に教わることもなくそんな高い視点で仕事をしてきた本田さん。まさに成功者は1日にして成らず、を実感する取材でした。
ワーカホリックぶりを自認しつつも、「妻に日々負担を掛けてしまっていることの罪滅ぼしとして(笑)」と、家族の食事を週末にまとめてつくり置きする、という一面につい笑みがこぼれました。支えてくれる家族への感謝を自らの生きる力に変える、まさに軸足を地にしっかり下したプロフェッショナルの姿でした。

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

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