Vol. 032
驚異の“10年連続離職者ゼロ”の会社を育てた
二代目経営者の“利他経営”術
信和興業株式会社 代表取締役社長
大渕 能愛Yoshichika Ofuchi
2023年4月21日
Keywords
家庭用・業務用インターホンの施工を中心に、防犯や防災設備などの通信設備工事を行う信和興業株式会社。高い技術と業界屈指の仕入れ実績をもち、創立50周年を迎えた2022年の年商は19億円に迫る勢いだ。
順風満帆な同社の舵をとるのは、2代目代表取締役社長の大渕能愛氏。父が興した会社を弱冠32歳で継ぎ、以来右肩上がりの経営を続けている。さらに、2022年には10年連続の離職者ゼロという偉業を達成している。会社という大船を見事に操り、社員から絶大な支持を得る大渕氏に、その根底にある信念と未来に見据える目標を聞いた。
目指すは、誰よりも社員の幸福を願う経営者
大手メーカーとの長年にわたる信頼関係や、自社による工事体制の構築によって他社には真似できないサービスを実現してきた信和興業株式会社。現在は業界3番手だが、代表取締役社長の大渕氏は「うちの工事は日本一であるという自負があります。それを世の中に還元し、社員の幸福につなげたい。そのために、この業界の1番になることを目指しています」と力強く宣言する。
まずは、彼の経営者として才覚の片鱗が垣間見える大学時代のエピソードを紹介しよう。
「大学の教本って必ず必要だけど、学生にとっては高いですよね。そこで不要になった教本を買い取り、古本として低価格で販売すれば、需要があると考えたんです。古物商許可を取り、大学の前にある文房具店に委託販売をもちかけて、大学の教科書専門の古本の買い取り・販売を行う会社を立ち上げました。定価の5~10%で買い取って、売り上げを私と文房具店で分配しながら運営して。最終的には卒業を機に文房具店に業務をすべて引き渡しましたが、学生にもメリットがあるし、売る側も効率的だし、非常にいい商売でしたね」
若いうちから実践的なかたちで経営や交渉を学んできた大渕氏。在学中には宅地建物取引士の資格を取得し、卒業後は不動産のビル管理会社に入社。2年ほど勤務したが、その後、父が起こした信和興業株式会社に入社することになる。
「でも、次男である私はもともと父の会社には入る気はなかったし、会社を継ぐことにも興味がなかったんです。誘われたときは気持ちが完全に不動産業に向いていたので断ろうと思っていました」
大渕氏の気持ちを動かしたのは、古くからの親友たちが経営者として奮闘する姿だった。
「彼らは大学には入らず、ひとりは西麻布で飲食店を7店舗経営して、もうひとりは那須でペンションを経営していたんです。ふたりとも、口ではしょっちゅう『経営が大変で、いつ潰れてもおかしくないんだよ!』なんて言いながらも、僕にはすごく生き生きして見えました。そんな彼らに接して、自分もサラリーマンで一生を終えるよりも、父の会社を継いで、経営者の世界を見てみたいと思ったんです」
イチ社員の運命を変えた、父への突然の余命宣告
信和興業に入社後は、御曹司であるにも関わらず、現場担当として駆り出されることに。同社では工事は自社社員が軸となって対応するという現場主義を大切にする社風があり、「社長の息子」という立場であっても例外ではなかった。
「とにかく技術を覚えないと話にならないので、現場管理を徹底的に叩き込まれました。そこから現場と営業を行き来しつつ最終的に経営側に移っていこうと。でも、実際に働いてみると、当たり前ですが現場のイチ社員としての裁量しかもらえないわけです。経営者の友人たちのようなギリギリの立場を経験することがなく、正直、責任ややりがいもそこまで感じられませんでした」
有り余るエネルギーをもてあました大渕氏が当時並行して挑戦していたのが、飲食関係のコンサルティング業。コンサルティングのほうにやりがいを見出し、そちらの道にしぼろうかと考えはじめた頃、状況を一変させたのが父への突然の余命宣告だった。
次期社長の立場をになうことになった大渕氏は当時32歳。年齢も若く、まだまだキャリアが十分とはいえない時期だった。
「父が余命3ヵ月という宣告を受けまして。うちの父はザ・ワンマン経営者だったので(笑)、多くの従業員は会社が潰れてしまうのではないかという不安や恐怖に駆られていたと思います。僕自身、会社や社員の責任を突然抱えることになり、自分自身も不安に駆られ、気が気ではなかった」
取引先との関係がくずれ、銀行の融資も止まってしまうのではないか――。会社が不安におおわれ、離職者も相次いだ。
「苦い経験なんですが、父が亡くなった途端に辞めてしまった社員のなかに、取引先まで一緒にもっていこうとした人がいたんです。その取引先は彼にまかせきっていたため、私は顔を出していなかったんですね。当然、その時点で取引先の方と私との間の信頼は盤石ではありませんでした。取引継続は風前の灯火だったのです」
大渕氏は、自らが築いてきた人脈と持ち前の交渉力を最大限活かす決意をする。ディベロッパーに勤務する友人や先輩らの推薦をもらいつつ、社長である自らが取引先に積極的に顔を出してアピールしたという。
「当時の経験は大きな反省になりました。会社同士の大きな信頼関係が築けていなかったのは、取引先を社員まかせにしていて、自ら顔を出さなかった私の落ち度です。それに気づいてからは、とにかくまずはお客さまのもとに積極的に顔を出し、信頼を得ることを最優先しました」
会社創立50周年の記念すべき年に、「10年連続離職者ゼロ」を達成
父は信和興業を創業、母は美容室を経営するという経営者夫婦のもとでおおらかに育った大渕氏。そして彼の経営理念や人生哲学には、父の実家である“寺での経験”が色濃く反映されている。
子ども時代、長期休みには寺に泊まって本堂や墓の掃除を手伝い、住職だった祖父が人のために経を唱え手を合わせる姿を見て育った。そんな経験から大渕氏は、「会社は“道場”」だと語る。
「私は社員がなぜこの会社にいるのか、何の意義があってこの会社にいるのかについてよく考えます。会社にいることによって人として成長してもらいたいですし、人として幸せになってほしい。そのためには自分がしっかりと教育できるようにもっともっと勉強しないと駄目だなと思っています」
大渕氏の考える幸福とは、「精神(心)・健康(体)・経済(財産)の3つのバランスを保ち向上する」こと。このトライアングルのバランスを整えながら大きくしていくことが重要なのだという。
「採用面接でまず聞くのが、『自分は運が良いと思うか』ということ。運は基本的に自分がつくるものであり、人に良いことをしていると自然と自分に対しても良いものとして返ってくるものと考えています。いわゆる“利他の心”をもつ人は基本的に運が良いんです。それから感謝の気持ち。ただ感謝の気持ちをもっていても、言葉や行動にしなければ相手には伝わらない。私は、もっとも伝わりやすいツールは手紙だと思っていて、社員には節目で必ずご両親やお祖父さま・お祖母さまに宛てた手紙を書かせています」
人に尽くし、人に感謝する精神は、一見すると利益を追求する会社経営とは相反するようにも思える。しかし、大渕氏はそれが逆に相乗効果を生み出しているという。
「コロナ禍で営業外利益があったこともあり、うちは9期連続の増収増益だったんですね。そこで希望者に対して分散して少人数で行く社員旅行を計画したり、ゴルフコンペを主催したり、さらには社員の健康診断で、通常はオプション扱いである脳検査(MRI・MRA)、胃カメラ、大腸検査、乳がん検査などを全額会社負担で実施したんです。そういったかたちで福利厚生に力を入れた結果、さらに経営は上向き、10期連続での増収増益を記録しました。さらに2022年は会社設立50周年だったのですが、10年連続離職者ゼロを達成した記念すべき年にもなりました」
最期はみなさんに「ありがとう」と思って死にたい
信和興業は、福利厚生のひとつとして「HIYORIオーシャンリゾート沖縄」を活用している。大渕氏が所有する2部屋は社員にも開放し、両親や友人との旅行など1回目は4泊まで無料、2回目以降もオーナー料金で格安で宿泊できるという。
「利用にはひとつだけ条件があります。それは、誰と行ったとしても必ずひとりになる時間をつくること。30分でもいいから、オーナーラウンジのテラスで鳥や虫の声に包まれて“今、自分がどうしてここにいるのか”を考えて欲しいんです。生み育ててくれた両親やさらにその先祖、そして今の家族……ひとりでも欠けたら今、自分はこの場所にいなかったわけですよね。家族に対する感謝の気持ちや人生を振り返る時間はすごく大切です。そういう時間をつくる場所として、『HIYORIオーシャンリゾート沖縄』は最適なんです」
同ホテルの利用を福利厚生に加えたことで、社員の帰属意識も一層高まったと感じている大渕氏は、さらなる夢も語ってくれた。
「実は“信和ビレッジ”という構想もあって、現在所有する2部屋のほかにもう1部屋加えて、会社の退職後にも社員と繋がれる場を作ろうと思っています。私は社員のことを“戦友”だと思っていますが、定年退職して会社を完全に離れたとしても、その場に行ったらまた戦友に会えるような“たまり場”があるって、素敵じゃないですか。老後にそんな場所があると思って働けたら、ひとつのモチベーションにもなると思うんです」
実際に現在、退職した77歳の元社員が顧問というかたちで働いているという信和興業。大渕氏自身も生涯現役を貫くつもりだと宣言する。
「日本で社員が10人以上いる会社は、約42万社ある。その42万社のなかから信和興業、そして大渕を選んでくれた社員やそのご家族から、大渕についてきて良かったねと思ってもらえることが僕の生涯のコミットメントです。
私自身も生涯現役で仕事をしていようと思っています。もちろんある程度の年齢で、私よりも有能な者が現れたらこの会社は譲るつもりです。その場合、私はリゾートが好きなので、最終的にはリゾート関係の仕事をするかもしれません。例えば働く時間が週3日程度になったとしても仕事をして、人とのつながりはもっていたい」
大渕氏は、常にノートを携行し、気づいたことや考えたことを書きつけることを習慣にしているという。見せてくれたページには、彼の言葉通り、42万分の1の出会いを果たした社員たちへの誓いが力強い筆跡で記されていた。自社を選んでくれた社員ひとりひとりの幸福を第一に願うからこそ、社員からの信頼も厚く10年連続離職者ゼロという偉業を成し遂げた大渕氏。彼自身の最終目標をたずねると「大好きなHIYORIオーシャンリゾート沖縄の自室ソファーで、紅く染まる地平線をゆったりと眺め、日の入りをする瞬間に老衰で死を迎えるというのが私の人生設計」と非常に具体的なプランを教えてくれた。
「“まぁまぁ”な人生だったなと思って死ぬのが理想です。“まぁまぁ”と自分で思えたらそれは最高なことだと思うんです。そして同時に、みなさんに“ありがとう”という気持ちを伝えながら、幸せな最期を迎えたいですね」
Next Frontier
FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン
“人とのつながりを大切にし、
感謝を伝える心をもって
最高の“運”を引き寄せていく”
編集後記
誰よりも社員や関係者への幸福を願うからこそ実現した輝かしい功績。そのルーツをたどれば、人のために尽くす僧侶であった祖父の後ろ姿があり、経営者としての在り方を見せてくれたご両親の姿がありました。
やはり印象的だったのは、経営者としての自らの行動を謙虚に捉え、自らを変えていった強さだろう。常に人のためにあろうとし、最期の瞬間まで感謝を伝えようとする姿勢をみると、人望や信頼の証なのだと感じさせられます。そんな大渕さんの人柄にすっかり魅せられた今回の取材。彼から学ぶべきことは、まだまだ奥が深い、そんな余韻が今も強く残っています。
いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。
FRONTIER JOURNEY メルマガ登録はこちら!
Voice
基本的にVoiceでお送りいただいたコメントはサイトに掲載させていただきます。
ただし、内容によっては掲載されない場合もありますので、ご了承ください。