Vol. 030
自然と共生する島沖縄で、
資源を無駄にしない社会を築く。
最先端技術で水を守る研究者が見つめる未来
OIST発スタートアップ「Watasumi (ワタスミ)」 創設者
デイヴィッド・シンプソンDavid Simpson
2023年3月24日
「HIYORIオーシャンリゾート沖縄」から、海岸沿いを車で5分。美しいビーチを見渡す丘に、世界中の研究者たちが集まる教育研究機関・沖縄科学技術大学院大学(OIST)はある。
最先端の教育研究により、イノベーションを促進する拠点を目指すこのキャンパスから、2021年にスピンオフで生まれたのが、デイヴィッド・シンプソン率いるWatasumi社だ。同社は排水からエネルギーを生み出す実証実験を展開している。スコットランドで育ち、世界各国をめぐった果てに沖縄へたどり着いたシンプソン氏は、自然に満ちたこの島から発信する循環型経済(サーキュラー・エコノミー)の可能性を示してくれた。
スコットランドの自然のなかで育った少年時代。異業界から、生物学者の道へ導かれる
有機物を分解するときに電気を発生する「発電菌」というバクテリアがいる。シンプソン氏が取り組むのは、その微生物が生み出したエネルギーを循環させながら、工場などから出た廃水を浄化する燃料電池式システムの研究・開発だ。
“持続可能性”が叫ばれる現代において、資源やエネルギーの無駄をなくす循環型経済の技術は、今まさに世界中から求められる。そんな最先端の舞台に立つシンプソン氏だが、意外にも「もともとはこの研究を志していたわけではなかった」と明かす。まずは、その来歴を聞いた。
「生まれたのはアメリカですが、3歳の頃に父の出身地であるスコットランドへ渡り、人生のほとんどを同地で過ごしました。父は起業家でしたが、実家はエディンバラの田舎にある農家。小さいころから、農業を通して自然のものに多く触れてきました。その後、全寮制の学校に入学して家から離れたんですが、ゴシック様式の雰囲気ある建物でおもしろかったですね。J.K.ローリング氏は、私たちの学校からインスピレーションを受けて『ハリー・ポッター』シリーズを執筆したとも言われる場所なんですよ」
そのまま自然豊かなエディンバラの大学へ進学したシンプソン氏は、起業家だった父の影響もあり、スタートアップの道へ。大学を出てからは、いくつかのIT企業を転々としたが、2009年にエディンバラの大学に戻り、「微生物燃料電池」の商業化を目指すプロジェクトに関わったことで、キャリアが一変したという。
「『微生物燃料電池』は、廃水に含まれる有機物や有機廃棄物をバクテリアに食べさせ、特殊なリアクターで分解すると電気が発生する、という技術です。実は、私自身は学校の授業でしか生物学に触れたことがなかったし、最初は自分が何をしているかもさっぱりわからないところからスタートしたんですよね(笑)。でも、技術開発を続けているうちに『これは歴史を揺るがすようなすごい技術だぞ!』ということに気づいて。いつのまにかIT業界のスタートアップよりも、研究のほうにのめり込んでしまいました」
スコットランドの自然豊かな田園地帯で育った彼にとって、自然の力を生かす研究に取り組むのは、運命の巡り合わせだったのかもしれない。
「農家育ちの私は廃水に触れるのは苦もないことでしたし、自然は親しみ深いものでした。自然を扱うなかで、今、何がうまく動いているか、そうでないかは、五感をフルに使えば感じ取ることができるんです」
この技術をもとに、彼はウイスキーやアイスクリームの製造メーカー、酪農メーカーなど、主に食品業界と関わりながら、技術の商業化を目指し、研究を重ねていく。その過程ではスタートアップでの経験も存分に生かされたが、同時に、技術を追求する情熱だけでは乗り越えられない壁にぶつかることになった。
「私たちは、研究面ではいい成果を出せていたんですが、研究者にありがちな問題として、顧客がどんなことを求めているかをきちんとリサーチできていませんでした。私たちはアップル社ではないので、事業を成功させるためには何百人もの顧客の声を聞くマーケティングを行わなければなりません。でも、一緒に働く研究者たちには、その必要性をなかなかわかってもらえなかった。その影響もあって、エディンバラでの事業が次第にうまくいかなくなってしまったんです」
一度エディンバラでの事業を閉じ、仲間の誘いでモスクワへと渡ったシンプソン氏。そこで引き合いがあり、立ち上げ間もない沖縄科学技術大学院大学(OIST)に招かれることになった。
“沖縄の母”との出会い。世界中の水の問題を解決する糸口として期待される研究
シンプソン氏が初めて沖縄に降り立ったのは2012年。OISTに席を置き、再び「微生物燃料電池」の実用化に向けて、研究を進めていくことになる。
「浄化槽をつくる地元企業とのコラボレーションをメインに、土壌分析や環境試験を行う沖縄県環境科学センターとの共同研究が、私の主な仕事です。スコットランドで我々が行ってきたプロジェクトを、遠いアジアの地で引き継ぐことになるなんて、思ってもみなかったですよね」
言葉の通じないアジアの島での研究は、さまざまな葛藤との闘いだったことは想像にかたくない。研究の妨げとなる数々の障害が立ちはだかるなか、彼は、ひとりの女性に救われることになる。
「OISTに来たばかりのころ、ある会社と協業することがあり、そこで金城さんという素晴らしい女性と知り合う機会に恵まれたんです」
長年沖縄で暮らし、本土復帰直後の混乱期の沖縄も知る彼女は、シンプソン氏の研究の可能性にいたく感銘し、積極的な協力を申し出たという。
「彼女は、私にとって“沖縄の母”。私たちの研究をサポートし、あらゆる情報を提供してくれました。彼女が見てきた1970〜80年代の沖縄は、インフラがほとんど整備されておらず、河川の汚染に悩まされていた時代です。彼女は何度も、『この廃水処理技術は、アジアのほかの地域をはじめ、世界中に普及させることができる』と熱心に語ってくれました。自分が体験したような苦しみを、途上国の人たちが味わうことがないようにしたいという強い思いで、私たちの研究に協力してくれています。そんな風に研究を応援してくれる人がいるからこそ、私たちも技術をよりスケールアップさせていかなければと感じているんです」
環境問題への課題を突きつけられる現代。最先端の技術で、家族経営の小企業を救いたい
国の支援の下、世界の科学技術の発展と沖縄振興を目的として立ち上げられたOISTでは、50を超える国々から気鋭の研究者が集まり、ジャンルの垣根を超えた科学教育と研究を行っている。世界中の名門大学でのキャリアを持つシンプソン氏も、現在の研究環境は「これほどまでに最先端の機器と、それらを操れる人材が集まっているところはなかなかない」と評価する。
シンプソン氏の事業へ寄せられる期待も大きい。県や沖縄県環境科学センターをはじめ関連団体からのサポートは厚く、泡盛やビールメーカーをはじめ、廃水を処理する浄化槽を必要とする地元企業とのコラボレーションも積極的に行われている。
「このような基礎研究を事業へ応用するのは決して簡単なことではなく、私たちは希少な実例のひとつだといえます。幸いにして、さまざまな企業がサポーターとして私たちの実験に付き合ってくださっています。外部の企業を巻き込むことで、この技術が沖縄や日本市場で成長することを証明できるはずです」
沖縄における主なターゲットは飲料メーカーや食品メーカーなどだが、なかでもシンプソン氏が注目するのは、意外にも豆腐メーカーだ。大豆を原料とするため、ヴィーガンやベジタリアンにとって重要なタンパク源になる豆腐は、世界の食品基準のなかでもっとも厳しいとされるユダヤ教の「コーシャ」にも対応する素材として、グローバル規模で高い注目を集めている。
「豆腐メーカーは、歴史的に家族経営で行われてきた小さな企業が多く、労働環境も厳しい。そんななか、環境保護を目的に、廃棄物の処理方法に関するルールが変わり、事業継続の危機に直面している企業は多いんです。循環型経済にもとづいた私たちの技術は、小さな企業で働く人々も幸せにできるはずです」
「人生の目的は、目的のある人生を送ること」。夢の実現が、沖縄と故郷の島をつなぐ
10年にわたり、海外諸国と行き来しながらも、沖縄を拠点に研究活動に勤しんできたシンプソン氏。父親から受け継いだアントレプレナーシップの精神は健在で、2021年秋に、OISTの研究チームと共に、Watasumiを設立した。
「沖縄の人々はいつもとても協力的で、情熱があることを見せれば、信じて応援してくれる人たちがほとんどです。自然と深いつながりがある土地なだけに、環境に関わる仕事をしていると話すと、サポートしてくれる人はたくさんいます」
キャンパスから海を眺め、またビーチから緑の丘陵を見上げるたびに、自然に囲まれていることを実感するとシンプソン氏は語る。休日に趣味の自転車で島をサイクリングしていると、「世界が自分と一緒に流れていくように感じる」そうだ。
「地元の人々は、美しい自然を守り、次世代に引き継いでいくことを望んでいます。世界のあらゆる地域で、今そうしたつながりが失われている。人間の持続的な幸せのためには、ここでつながりを証明することが重要なんです」
世界を転々としてきたシンプソン氏だが、「今後は沖縄に拠点を置きたい」と考えるほどに、この場所にひきつけられているという。
「沖縄は世界の水先案内人として、持続可能な社会を実現するための手本になれるはずです。私たちが開発した技術をここで完成すれば、アジアのほかの地域にも簡単に流通させることができるでしょう。孤立した島で、廃水からエネルギーを回収する技術が誕生するというのは、世界的にも価値のあることです」
そう話すシンプソン氏の視線の先に映るのは、同じように島国である故郷の英国、スコットランドだ。
「イギリスも島国ですし、スコットランドはエネルギーや廃棄物処理、若者の雇用など、日本と同じ課題を抱えています。私たちが沖縄でやろうとしていることと重なりますし、母国でも同じようなことができるのかもしれません」
環境破壊に待ったをかけるサステナビリティの考え方が提唱されはじめた今、循環型経済に貢献するシンプソン氏の研究は、ますます求められていくことだろう。もともとは生物学の道に進むつもりがなかったという彼も、現在ではこの仕事を自然からあたえられた使命のように受け止めている。
「世界中の人々が豊富な水を使い続けられるようにする方法を模索し続けたいと思っています。水が希少な商品になってしまうような世の中にはしたくありません。現在は水を廃棄するためにエネルギーが必要ですが、その工程からエネルギーを生産することができれば、多くの無駄がなくなるはずです。
かつて、近代以前の何世紀ものあいだ、世界ではすべての行為に目的がありました。ものが分解され、別のものへと再利用されるのがあたりまえの世の中だったんです。今あるものを賢明に、持続可能な方法で再利用する。そこに立ち戻るのが私の理想です」
最後に、シンプソン氏の仕事の哲学を聞くと、スコットランドの作曲家ロバート・バーンの「人生の目的は、目的のある人生を送ることだ(The purpose of life is a life of purpose.)」という言葉を紹介してくれた。
「私の人生の目的は、働くことです。今のプロジェクトを成功させるために、私は自分のすべてを注ぎ込みます。目的を達成するためには、OISTという場所で、若い人たちを育てることが大切だと信じています」
Next Frontier
FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン
“今あるものを無駄だと思わず、価値を見出し再利用することが、あたりまえの世界に”
編集後記
「持続可能性」という言葉が叫ばれ久しいですが、一朝一夕に叶えられるものではなく、長期にわたる地道な研究努力によって成り立つものであること。その技術の芽がどう伸びるか、あるいは摘み取られてしまうかは、それを支える人や企業、さらに政府の支援など、環境や制度にも大きく左右されることを思い知らされました。
遠くスコットランドでシンプソン氏が暮らした幼少期、取材中、その風景が目に前に広がるような自然体でワクワクするお話が続きました。
今、当たり前にある安心を将来につないでいくためには、アカデミックな場での研究や発見の芽吹きを関係ないことと切り捨てることなく、その可能性を信じる――。日本が技術大国として世界でリーダーシップを発揮するためにも、私たちにそんな姿勢が求められているように感じます。デイヴィッドさん、日本での暮らしを通して私たちにメッセージを送り続けてくださることを願っております。
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