FRONTIER JOURNEYとは

FRONTIER JOURNEYでは、様々な領域で活躍する「人」に焦点を当て、
仕事への想いや人生哲学を深くお聞きし、私たちが大切にしている「利他の心」や新しい領域にチャレンジし続ける「フロンティア精神」についてお伝えしています。
人々の多彩な物語をお楽しみください。

Vol. 029

銀座の街を飛び立つミツバチたちが
教えてくれる、人と地球のあるべき姿

銀座ミツバチプロジェクト 副理事長/紙パルプ会館 専務取締役
田中 淳夫Atsuo Tanaka

2023年3月10日

日本を代表する都市の1つである銀座で天然のハチミツがつくられていることを知っているだろうか。このハチミツは銀座のビルの屋上に住むミツバチが、銀座周辺の草花から採ったミツを集めた正真正銘の「銀座産」。
2006年に“銀座でハチミツをつくる”という風変わりなプロジェクトを立ち上げ、副理事を務めているのが田中淳夫氏だ。彼はこれまで18年にわたって養蜂を続け、現在では銀座で行われるさまざまな植物の栽培にも携わり、都市生活と環境保全を結ぶ取り組みの中心人物として、国内はもちろん、海外メディアから取材を受けることも珍しくない。紆余曲折に満ちた田中氏のキャリアや、都市でこそ実現可能な環境保全の未来を聞いた。

バブル崩壊に直面しながらも、建て替えた自社ビルを“人と人を結びつける場”へと転換

「銀座ハチミツプロジェクト」をはじめ、さまざまなNPOや社団法人に関わり、不動産会社の専務取締役も務めている田中氏。“組織の重鎮”ともいえる肩書きから、緊張感の張り詰めた人物なのかと思いきや、少し言葉を交わすと、すぐに知的なユーモアにあふれた親しみやすい人柄が伝わってくる。
いくつもの組織に関わっている田中氏にとって、チームビルディングや人と人のつながりを知った原点の1つに、大学時代のアメフト部がある。約50名もの部員をまとめる主将を務めた。

「アメフト部で具体的に学んだこととなると忘れましたけど(笑)、『常にチームで動く』ことは体感したかな。大学を卒業して紙パルプ会館に入社したときは、20名足らずの会社でしたが、組織の一員になることには既に慣れていましたね」

田中氏は、1980年に当時の役員に誘われて紙パルプ会館へと入社。当初は、ビルを管理しテナントにリースする、いわばビジネスにおける“縁の下の力持ち”のような業務に携わった。しかし、数年後に本社ビルの建て替え事業をまかされると、徐々に時代の渦へと巻き込まれていく。

「大きな事業に関われたらいきいきと仕事できそうだなって思ってね。老朽化したビルの建て替えの話が持ち上がり、着工したりしたときは、バブル景気の真っ只中。家賃設計も右肩上がりでしたよ。でも、いざ竣工したらバブル崩壊。家賃収入の当てが外れ、借金がどんどん膨らんでいきました。当時の部長から『お前の人生は、ビルの借金を返済していくだけだからな』なんて言われましたよ(笑)」

田中氏にとって、自らの不手際などではなく、また、自らの力だけではどうすることもできない難局だ。しかし、30代を迎え、小さな子どもを抱えていた田中氏は、状況を好転させるために必死に働いた。当時は係長クラスの立場ながら、商談の矢面に立つことばかりだったという。

「いろいろな商談がありました。例えば、もともと我々のビルに入居していた会社にとっては、景気が悪化していくなかで、ビルの建て替えによって賃料が倍近く、ときには倍以上に上がってしまう。それを告げなければいけない、そんな商談ばかりだったので、誰もやりたがらない(笑)。30そこそこの私が、60〜70代くらいの理事と交渉するわけですから、余計に難しいですよね。ときには私があまりにグイグイ話すので、同席した部長に机の下で足を踏まれるなんてこともありました(笑)」

まるでお笑いのコントのような状況も経験しながら、田中氏はタフな交渉術を身につけていった。
もうひとつ、氏が取り組んだのが、建て替えた紙パルプ会館を活用し、人と人がインタラクティブに結びつく場を生み出すことだ。

「さまざまな一流が集う銀座なら、人との出会いが新たな価値を生み出すきっかけになり、銀座の活性化につながりますから、そういう場を提供する仕組みをつくりたいと思ったんです。
医療関係の会議や若手官僚の勉強会、また、銀座に建つビルの会長にご協力いただき、銀座の街について学ぶ研究会を定期開催しました。私も研究会に参加し、銀座の文化や伝統を学びましたが、会長がおっしゃった『老舗店や夜のクラブ、歌舞伎の文化もある銀座は、天の川のように光るものが集まってくるんだ』という言葉は今もよく覚えています」

人との出会いを創出する取り組みを続けるなか、田中氏には銀座の力を実感する出来事があった。
日本でも有数のスイーツ愛好家が、有名パティシエや百貨店のバイヤーを集め、紙パルプ会館で定期的にスイーツの研究会を開催。すると、どこからともなく情報が伝わり、さまざまなメディアが研究会を取り上げるようになったのだという。

「個性のあるコンテンツに銀座が関わることで、情報が蜘蛛の巣のように広がっていくんだと実感しましたね。先ほどの会長の言葉のように、光るコンテンツがあれば、どんどん人が集まるというのは銀座の力だと思います」

そして、人と人の出会う場所を提供していくなかで、田中氏自身が銀座ハチミツプロジェクトにつながる養蜂家とも出会った。

突然、自ら養蜂に取り組むことになり、スタートした「銀座ハチミツプロジェクト」

あるとき、紙パルプ会館で食に関する勉強会を開催し、次回の講師を探していたことがあった。さまざまな専門知識を持つ講師を調べるなかで、田中氏は“東京で養蜂ができるビルの屋上”を必要とする不思議な養蜂家に出会う。

彼は、東北でもっとも古い養蜂場を営む養蜂家であり、ビルの屋上を必要としていたのは、花の咲く時期が異なる東北と東京の2箇所で養蜂を行うことで、より多くのハチミツを収穫するという豪気な計画があったためだ。

「最初は『銀座で養蜂なんて危ないじゃないか』と伝えたんですが、話を聞いてみると、ミツバチは巣から花へと一直線に上空を飛んでいくから、花のないエリアの人は見ることはないし、針を刺すと自らも死んでしまうから余程のことがないと刺さないと。銀座の勉強会で歴史を学んだこともあって、江戸時代から400年間ずっと“消費する街”だった場所で、天然のハチミツが採れたら面白いし、ワクワクするなと考えを改めたんです。それで、紙パルプ会館の屋上を貸すことを決めました」

しかし、ことはそううまくは運ばない。養蜂家にとっては紙パルプ会館の屋上は狭すぎたため、「指導はするから、自分たちでがんばって」とあっさり手を引かれてしまったのだ。

「私はもともと東京の下町育ちで、当時はアブとハチのちがいすらわかりませんでしたから、困りましたよ(笑)。とはいえ、古くから最先端の文化や技術を発信してきた銀座で、真逆の営みである天然のハチミツづくりをすれば、新しい“街の化学反応”が起こるような期待があったので、自分でやってみることにしたんです」

養蜂で行う作業は、巣の近くでミツバチの餌となる花を育てたり、ミツバチや卵の数、ハチミツの量に合わせて巣箱をコントロールしたり、寒暖に合わせた対応をしたりと、状況に合わせた細かなケアが必要になる。田中氏は今でも自らの手で作業に取り組んでおり、最初はもちろん苦労も多かったそうだが、もっとも大変だったのは銀座ならでは事情だった。

「ビルの屋上で黙ってやることはできないので、常に説明しなきゃいけないのは大変でした。ビルのテナントさんからは『建物に入ってきたらどうするの』『銀座に花なんかないのにどうするの』などと質問され、『ミツバチは危険じゃないんです』『皇居や浜離宮、銀座の街路樹に花はたくさんあるんです』などと細かく説明して回りました。こうした説明をいろいろな方々に何度も重ね、少しずつ納得してもらうことができた」

こうして2006年に田中氏が立ち上げた銀座ミツバチプロジェクトは、今年で18年目を迎える。初年度に150kgだったハチミツの収穫量は、紙パルプ会館以外にも養蜂を行うビルが広がり、2.2tまで増加。国内のハチミツ生産量は2800tであり、なんと約0.8%が都内の狭い範囲で生産されているのだ。

銀座の店舗から世界へ、そして子どもたちの環境教育へと広がる“街の化学反応”

銀座で生まれた天然のハチミツは、銀座にあるバーのカクテルやスイーツ店のお菓子として使われたり、旅行ツアーの中で提供する商品になったりするなど、毎年のように新たな展開を見せている。

また、環境保全が世界的なムーブメントであるなかで、“都市で天然のハチミツをつくる”という営みは、CNNやBCCなどのメディアが取り上げ、世界的な注目を集めている。都市生活と環境保全をつなぐ事例を学ぶため、国内はもちろん世界中から、視察に訪れる人が絶えない状態だという。田中氏がはじめた取り組みが、世界に影響をあたえているのだ。

「毎年、海外から100名以上が視察に訪れます。デンマークの環境大臣やヨルダンの国王と来日した農業関係者、マレーシアの州知事、台湾の中小企業庁長官、アフリカの副大統領などがいらっしゃった。フランスの有名なショコラティエや、イタリアのジャーナリストも視察に来ました。これらがすぐに目に見える結果を生むかはわかりませんが、この場所が人と人を結びつけられるようになったことはありがたいですし、一緒に新しい価値をつくっていきたいですね」

さらに、田中氏は、銀座の子どもたちに向け、ミツバチの生態を通して環境教育を行うことにも力を注いでいる。

「養蜂やミツバチは、まるでエンターテインメントのような面白い世界であり、また、さまざまな動植物の生態系に関わるので、環境教育にぴったりだと思うんです。例えばミツバチは生まれると巣の掃除からはじめ、幼虫の世話、女王蜂の世話と成長に従って役割が変わり、その後は飛ぶ練習をしながら巣の場所を覚える門番をして、最後に蜜の収穫に出かけるようになります。掃除からはじめ、内勤、営業とまるで昭和の会社です(笑)。また、ミツバチにも感情があり、巣のなかでぶつかったら『excuse me』とコミュニケーションしているようなんです。一方、植物も受粉のためにミツバチと香りや色でコミュニケーションし、そして鳥が実を食べて種を遠くに運ぶ。都心の子どもたちは土や虫に触れ合う機会が少ないので、身近な場所にも動植物の連鎖や命のつながりがあることを教えてあげたい」

多い年には年間800人もの子どもに環境に関する講義を行っている田中氏と仲間達。こうした環境教育は、銀座ハチミツプロジェクトの周知や、好印象へとつながっている。

銀座で営業をする店舗から環境保全を考える世界中の人々、そして、未来をになう子どもたち。かつて「銀座で養蜂」と聞いたときに田中氏が直感した“街の化学変化”は現実のものとなり、想像以上に広がっているのだ。

未来の地球環境は都市のありかたからはじまる

銀座のビル管理から人と人を結びつける場の提供、そして屋上での養蜂へとつながった田中氏の仕事。現在では、これまでの活動を融合させ、多くの人をWin-Winにする“ビルの屋上緑化”にも取り組んでいる。

「屋上緑化は行政も促進していますが、高額な費用が必要なのですぐには難しい。そこで、緑化のために、例えば新潟の枝豆や大分のかぼすなど、地方の農業生産者の作物を銀座のビルの屋上で育て、クラブのママさんたちに着物姿で収穫してもらう取り組みをしています。するとメディアに注目してもらえるので、ビルはプロモーションフィーを得ることができます。農家にとっても、新たな交流が生まれ、銀座の有名店で提供する作物に関わることはモチベーションの1つになるかもしれません。
この新しい屋上緑化が進めば、ビルの管理費用を削減するために誰も上がらなかった銀座の屋上が、都市と農村の交流の場になり、ときにはビジネスマッチングの場に生まれ変わるのです」

さらに、田中氏は屋上緑化の一貫として、栽培が比較的簡単な芋を育て、『銀座芋人』という焼酎をつくったが、そこには田中氏も思いがけない展開があった。

「すぐに全国に広まり、『札幌芋人』『宝塚芋人』『長者町芋人』『巣鴨芋人』といった焼酎が各地でどんどん派生していった。さらに、参加大学の学生が『芋人』に合う東京野菜を使ったおつまみまで開発してくれた。まさか『芋』がコミュニケーションツールになるなんて、面白いですよね」

これまで、ほかにはない独自の目線や実行力でさまざまな取り組みを行なってきた田中氏。「自分たちが意図していなかったことが周囲の力でデザインされていくことは、本当に楽しい」と笑う。

最後に今後取り組んでいきたい、次なる野望を聞いた。

「大きく3つありますが、1つは銀座ではじまったミツバチプロジェクトが全国に広がったので、ほかの地域と一緒に社団法人をつくろうと思っています。結集することで、発信するメッセージを強くしていきたい。もう1つは、福島で行っている再生可能エネルギー循環型社会の試みを成功させること。これは、耕作放棄地で農業ができる高さに太陽光発電パネルを設置し、発電しながら農業を再生する取り組みです。これまで電気は売れてもそばが売れなかったんですが、地元の製麺所と一緒に『そばパスタ』を開発したことで、徐々に注文が増えています。成功すれば新しい農業の形になる可能性を秘めていますから、福島市と包括連携協定を結んだり、現地の銀行とも協力しながら進めています。
最後は、少し大きな将来の展望ですが、人の活動により地球環境がこれだけダメージを受けるなか、未来を幸せにするために必要なのは、“都市から環境をデザインする”ことだと思っています。銀座の屋上緑化もそうですが、例えば、ビルを木造にして壁面も緑化できれば都市は巨大な森になり、屋上にビオトープをつくればさまざまな生物が集まるはずです。今後は、都市のなかに多様な生態系をデザインすることが、ほかの動植物と人間の共生につながると、私は考えています」

キャリアの話からはじまり、地球環境の壮大な話で結ばれた今回の取材。将来の可能性を嗅ぎ分け、新しいことを考えて果敢に取り組み、ビジネスの感覚を持って遂行する田中氏には、イノベーターやクリエイター、ビシネスパーソンの視点がバランスよく備わっているのだろう。地球環境に関するニュースを見ると暗い気持ちになることが多いが、田中氏の話を聞いていると、少し明るい地球の未来が見えた気がした。

Next Frontier

FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン

都市のなかに多様な生態系をデザインし、ほかの動植物と人間が共生する社会をつくる
編集後記

今回の取材をきっかけに、「都市農業」に対するイメージががらりと変わりました。都市農業とは、都市のなかで建造物などと調和して存在する農業のことで、かつては「宅地化すべきもの」とされ、いずれなくなるものと考えられてきました。しかし、現在では都市に農地があることは、「ヒートアイランド現象の緩和」や「輸送の短縮化による環境負荷の低減」「消費者への購買意欲の喚起」などのメリットが再確認され、「あるべきもの」という評価が進んでいます。
世界的に都市人口が農村人口を上回ったとされる現在、今後、都市でつくられる農作物や畜産物の重要度はさらに高まっていくはずです。

この3月、FRONTIER JOURNEYのライブ配信版 FRONTIER JOURNEY Live! がスタートしました。
第1回のテーマは「東京を世界一愛されるグローバル都市へ!『銀座』流の街づくり」です。
ご視聴はこちらから:第1回 FRONTIER JOURNEY Live!

いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。

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