Vol. 023
型にはまらない自由さが強みになる。
人生を全力で楽しむ
異色のブライダルカメラマン
株式会社ファンプロモーション 代表取締役
江口 大助Daisuke Eguchi
2023年1月6日
全国からウェディングフォトやウェディングムービーの依頼が殺到する映像制作会社がある。ポスターのような目を引く写真、ミュージックビデオと見まごう斬新なムービーが人気だ。制作を手掛けるのは、株式会社ファンプロモーションの江口大助氏。驚くことに、カメラマンとしてのスタートを切ったのは40歳のとき。コンビニ経営からの転身だ。他人からは異色の来歴と見えるが、20代で思い描いた人生設計を一つひとつ着実に形にしているという。そんな江口氏に、人生の舵を自分自身でとるための“秘策”を聞いた。
3分の映像に込める新郎新婦の物語。
斬新なウェディングムービーが生まれるまで
「普通をドラマティックに表現することが自分の仕事」と語る江口氏。
ウェディングムービーというと、新郎新婦の写真やメッセージがスライドショーで流れる一般的なものをイメージするが、彼が手がけるそれはひと味違う。陰影に富んだ質感の映像に、斬新なアングルやカット割り。主役のふたりには自然体の笑顔があふれ、披露宴のゲストたちを、これからはじまる新郎新婦の物語の世界へと誘う。まるでアーティストのミュージックビデオのようだ。
そんなウェディングムービーに、「一生に一度の記念をとびきりおしゃれな映像で残したい」と考える、カップルからの依頼が全国から寄せられる。
人生の一大イベントが控えているからこそ、かしこまった表情ではなく日常を感じさせる笑顔を引き出すために、江口氏が何より大事にしているのが新郎新婦との信頼関係だという。
「ご依頼をいただいてから、電話などで打ち合わせ、撮影当日を迎えます。この短いやりとりのなかで、信頼関係を築かなければなりません。お客様をファーストネームで呼んだり、カジュアルな文面でLINEメッセージを送ったりして、距離を縮めることを意識しています。ウェディングのカメラマンってどこか堅苦しいイメージがあると思いますが、僕の場合は『らしくない』とよく言われますね」
どんなウェディングムービーに仕上げるか、新郎新婦の要望を丁寧に聞いてアイデアを提案していく。二人が出会ったきっかけ、思い出の場所、好きなもの、関係性、日々の過ごし方……。ざっくばらんに質問し、素顔を引き出していくという。
冒頭で紹介したような映像に仕立てるには、さぞやドラマティックななれそめやエピソードが必要なのでは、と想像するが、「みなさん結構“普通”ですよ(笑)」と明かす。
「なれそめをうかがうと、『友人の紹介』などがほとんど。ドラマのような劇的なエピソードはむしろ少ない。でも、ありふれたごく普通の出会いをドラマティックに表現することが、自分の仕事だと思っています。だれかの紹介で出会ったというエピソードも、出会いかたや思い出の場所を一つひとつ丁寧に映像に落とし込むと、二人らしさが詰まった映画のようになっていきます」
記憶に残るウェディングムービーの制作のみにとどまらず、ブライダルカメラマンとしても、特別なスチール撮影を提案する江口氏。HIYORIオーシャンリゾート沖縄の「滞在型フォトウエディング」プランでは、恩納村の絶景とHIYORIオーシャンリゾート沖縄の東西、両サイドに海を臨むことができる唯一無二のロケーションを舞台に、新郎新婦のとびきりの一瞬を切り取っていく。
「今はなかなか海外ウェディングが難しい時期ですが、HIYORIオーシャンリゾート沖縄ならハネムーンと結婚式を兼ねたウェディングが叶います。ここには大きな吹き抜けもあって、主役の二人や自然の景色が映えるんです」
30歳で独立、40歳で新規事業進出。
10年ごとの人生計画を立て、着実に実現
今や売れっ子ウェディングカメラマンとして活躍する江口氏だが、もともと趣味でカメラを続けていたものの、本格的に始めたのは35歳ごろだったという。独学でスキルを身につけ、40歳を迎えるタイミングでブライダル撮影事業をスタート。法人化して、現在3年目だ。
しかし、これは江口氏にとって、若いころにあらかじめ描いたプランどおりの展開。
20歳のころに10年ごとの人生計画を立てて、これまで1つずつ着実に実現してきたのだという。
「30歳で独立する。40歳で新しい事業をつくる。50歳でハワイに移住する。60歳で隠居生活をする。これが若いころに考えた僕の人生計画です。今は44歳ですが、ここまでは順調に歩んできていますね」
社会人になって最初に勤めたのはイオン株式会社のグループ企業。スポーツ用品を扱う会社で営業や経営企画などを10年間担当したが、20代後半の3年間にキャリアを左右する出会いがあった。
「別の会社からこの会社に着任された社長の席と、僕の席がたまたま近くて、特に肩書きはないものの彼の補佐のような感じで次々と仕事をご一緒させていただきました。社長の働きぶりを常に近くで見られる環境で、経営のいろはや仕事の進め方、人材育成の考え方など、本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。今振り返っても濃密で、貴重な経験ができた3年間だったと思います」
30代で独立することを考えていたものの、実際に経営者として起業することは簡単なことではない。江口氏が決意できたのは、社長に付いて経営を学んだ3年間の経験から「やれる」という自信を持てたからだ。
退職する前に社長と飲みにいく機会があった。経営者側に立ってからは、そのときに聞いた言葉を繰り返し自分に言い聞かせているという。
「『人を採用する基準ってなんですか?』と聞いてみたら、社長は『一緒に働きたいかどうか』だと。この言葉にはいろんな意味が含まれていると思うんですが、僕は従業員に愛情を持つということが、経営をしていくうえでとても大切なことだと捉えたんです」
独立して30歳から取り組んだのは、意外なことにフランチャイズでのコンビニ経営。その選択にも、人生設計に基づいた計算があった。
「前職で流通関係の企業に勤めていたので、ノウハウがあったことに加えて、まずは人生計画を実現していくための土台となる資金が必要だと考えてのことでした。3店鋪まで増やし、経営が軌道にのってからは、社長からいただいた“従業員への愛情”ということを大切にして、店長たちの相談にのるなどコミュニケーションに力を入れましたね。」
50歳でのハワイへの移住を目指し、
40歳でウェディングカメラマンとして本格始動
40代で新しい挑戦、50代でハワイ移住。この人生計画を実現するためにはどうすればいいか。若いころに抱いた将来の夢をいつのまにか忘れてしまう人は少なくないが、江口氏は「漠然とした夢」を「達成すべき具体的な目標」に置き換え、緻密に戦略を描きながら着実に歩みを続けてきた。
「ハワイで仕事をするなら何がいいかなと考え、ウェディングを思いついたんです。海外ウェディングは人気があるので、たくさん仕事がありそうだな、と。次にウェディング関係で自分ができる仕事ってなんだろうと考え、ずっと趣味でやってきた写真ならいけるんじゃないかと思いました。それで、40歳を迎えるタイミングでブライダルカメラマンの事業をスタートさせました」
「夢」という言葉でくるむとぼんやりしてしまいがちな人生設計だが、仕事と同じように、ゴールから逆算して一つひとつのタスクを明確にすれば、まずやるべきことが見えてくる。しかし、それを実際に行動に移すとなると、ファーストステップで多くの人が二の足を踏んでしまうだろう。いきなりプロのカメラマンとして事業を展開したところで成功する保証はない。しかし、江口氏は「自信はあった」と笑顔を見せる。
「結婚式のオープニングムービーってどんな感じだろうとリサーチし、さまざまな動画を観ました。結果、『このクオリティなら勝てる』だろうと(笑)。自分だったらこういうふうに映像を撮るなとか、いろいろなアイデアが湧いてきました。最初は友人に頼んでサンプル動画を撮影させてもらってYouTubeにアップしてみたら、話題になって。それからすぐに依頼が舞い込むようになりました」
好きなことを追求しているほうが、
クオリティの高いものを生み出せる
驚くことに写真や映像を専門に学んだことはなく、すべて独学で身につけたという。
「今はYouTubeなどに情報がたくさん出ているので、本気になれば学校に行かなくてもプロレベルのスキルを身につけることができます。僕も最初のころは海外の映像クリエイターの作品を真似て勉強していましたが、いろいろと試すうちに、だんだんと独自のスタイルが出来上がっていきました」
冒頭で紹介した通り、カメラマンとしては異色のキャリアを持つ江口氏が生み出す写真や映像は、よく見慣れたブライダルフォトやムービーとは一線を画す。いい意味で、自由だ。
「写真を撮るときの基本的なルールってありますよね。構図はこう、明るさはこう、みたいな。写真の基礎知識やルールはもちろん大事ですが、僕は必ずしもそれに縛られる必要はないと思っています。一番大事なことは、お客さまである新郎新婦の二人に喜んでもらえるかどうかです。『かっこいい』『おしゃれ』『思い出になった』と満足してもらうために、どんな撮影をすればいいか。そこを一番に考えています」
写真の型を学んでいないことが、江口氏ならではの強みであり、斬新なウェディングフォトや、ムービーにつながっている。さらに江口氏は、「仕事として割り切って作られたものは、 “好き”の情熱から作られたものには勝てない」と言い切る。
「趣味でやっている人は、好きだから何時間でもできるし、かけた力を労力とは思わない。何より、楽しんでいるわけです。だから、仕事として割り切ってやっている人よりも、自分が一番好きなことを楽しんでやっている人のほうがクオリティの高いものを生み出せると考えています」
人生はいつまで続くかわからない。
だから、思い切って行動する
コンビニ事業、ブライダルフォト事業と、異なる分野で事業を展開し、20代のときに描いた人生計画を一つずつ実現してきた江口氏。緻密に計画を立てて夢を実現するためには、相当なエネルギーを要することは間違いない。何が江口氏の原動力になっているのだろうか。
「僕、10歳のときに両親が亡くなったんです。だから、ほかの人よりも死を身近に感じるところがあって。いつ人生が終わるかわからないという気持ちが強いので、『やりたいことは全部やらなきゃ』と、思い切りのある行動ができたのかなと思います。人生設計という大きな視点では計算が先立っても、一つひとつの場面では考えるより先に行動してしまう感じです。加えて複雑な家庭環境もあり、反骨精神が強くなったのかもしれません」
両親と過ごす時間が短かったこともあり、「人に喜んでもらいたいという気持ちは、小さなころからずっとある」と明かす江口氏。経営者となった今、かつてお世話になった社長からの薫陶とともに、そうした気持ちが一緒に働く従業員や仲間に対する愛情にもつながっているようだ。
「一緒に働くみんなには楽しく仕事をしてもらいたいですね。もちろん生活もあるので、しっかりと収入も保証しないといけません。みんなが『愛情をもらっている』と感じられるように、自分ができることをしていきたいと思っています」
次のターニングポイントとなる50歳を迎えるまであと6年。ブライダルカメラマンとしての実績を積み上げ、次の人生計画の実現に向けて着実に一歩ずつ進んでいる江口氏。それに加えて、仲間たちと一緒にこれからやりたいことがあるという。
「何か大きなビジョンがあるわけではないのですが、今までは一人で作品を作り上げることが多かったので、今後は一緒にやっていく仲間をもっと増やしていきたいですね。いろいろなスキルを持つ人たちとフラットな立場でアイデアをぶつけあって、まだ見ぬ何かをみんなでつくり上げていきたい。それが何か今はまだわからないですが、きっとすごく楽しい何かなんです」
Next Frontier
FRONTIER JOURNEYに参加していただいた
ゲストが掲げる次のビジョン
“今はまだ見ぬ何かに、仲間たちとチャレンジしたい”
編集後記
異業種から40歳でブライダルカメラマンに転身し、頭角を現す――。来歴だけをうかがうと、それこそドラマティックで夢物語のように感じられる江口さんの半生ですが、種明かしのように語られた緻密な人生設計、それを実行に移す行動力に脱帽させられました。
自らが描いた夢を絵に描いた餅にしないために、目標までのルートを高解像度で具体化する丹力と、一歩踏み出す勇気、そして、少しの運。いつまで続くかわからない人生を後悔のないものにするために、彼が辿り着いたのが「仲間への愛」。ご両親が残してくれた贈りものなのかもしれない、そんな想いが過った取材となりました。
いかがでしたでしょうか。 今回の記事から感じられたこと、FRONTIER JOURNEYへのご感想など、皆さまの声をお聞かせください。 ご意見、ご要望はこちらfrontier-journey@sunfrt.co.jpまで。
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